友人の精神科医兼ミュージシャンの星野概念さんがいとうせいこうさんとの対談本『ラブという薬』を出版したよ!というツイートを書評がわりにブログにまとめておきます。
功利的にならないことの功利性
いきなり手前みそな話なんですけど、僕がふだんブログやSNSで言っていることと共通する感覚があってビックリ。「功利的にならないことの功利性」の価値がつまった一冊です。
いとうせいこうさんが自身の参加するバンドのサポートメンバーである星野概念さんのもとに精神科の患者として通い、その対話を本にした…という体裁の本。
「声の小さな人に耳を傾ける」「傾聴と共感が大事」「あえて自分のせいにする」などなど、星野さんの精神科医としての現場から生まれる経験則が、いとうせいこうさんによって普遍性なお話として引き出されていて良い対談本だなあと。
キャリアの階段を昇るため、自己承認欲求を満たすために自分のやることいちいちに意味を持たせる=功利的になりすぎる苦しさがあります。その時には功利的になるルートに「意識的に立入禁止看板を立てるようなオペレーション」が自分の功利性の力の強さに苦しむ人の薬になる。
その時に「聞き上手」「肯定上手」な人=精神科医の役割が重要になるわけだ。星野概念さんとはじめてお話をしたときに、不思議と自分の気持ちがくつろいでくるような感じがあってとても印象的でした。それは生来の気質プラス職業としての訓練であることが『ラブという薬』を読んでわかった。これはスゴい技術だなあ…!
相手をジャッジしないこと
僕もトークイベントでたくさんの人と対談や鼎談をするのですが、いつも心がけているのが「相手をジャッジしないこと」です。有名な人でも地域のおかあさんでも、今この場で顔を合わせた以上お互い持ち寄れるものを出しあってなるべく良い場所をつくろうと努力する。
大事なのは相手と僕の「あいだ」。
どちらが勝つかとか目立つかじゃなくて「あいだ」を愛(め)でて、育む。これ大事!
「この組み合わせは絶対面白いはず!」という二人が話しても全然ダメな時があります。これは「互いに相手を試してしまっているバトル状態」でよく起こる。議論の巧みさや知識の多寡を競い合うと対話にならなくてツラい。
対話とは、お互いが持ち寄ったものを重ねていって一緒に良い場をつくろうと努力することです。
『ラブという薬』のなかで、いとうせいこうさんが連想を重ねて話が飛躍しすぎると、星野さんが「ちょっと関係ない話なんですけどね」っていったん話を足元に引き戻すシーンが何回か出てきます。この「引き戻し」のテクニックが患者にとっての救いだと思うんですね。
いとうせいこうさんを表現者としての極端の世界から、一人の個人として生きているフツーの世界に引き戻すわけです。ある種の妄想が意味を持ってしまう「表現」の力をいったん相対化してしまう(他人に影響を与える強い意味が発生する道に立ち入り禁止看板を立てる)。この時にいとうせいこうさんは「フツーの状態」になり、気持ちが軽くなっていくわけです。
わかりやすい答えのない、あいまいな世界が日常における「フツー」ですが、他人に自分のことをわかってもらいたい、伝えたいと思うと、極端で強烈ことを大きな声で言うほうがいい。だけどこの「大きな声」は発した本人自体にダメージを与える。だから「あなたの小さな声を聞かせてね」という引き戻しの呼びかけが救いになる。
『ラブという薬』は、相手に対して「ワタシにしか聞こえない小さな声を聞かせてください」という呼びかけなのかもしれませんね。みんなどこかで「自分の小さな声を聞き取ってくれる誰か」を求めていて、それはもしかしたら数人、あるいはたった1人でもいいのかもしれない。
この本読み終わったら、ぜひ仲良しの誰かと二人でお茶しに行ったらどうかしら?
【追記】ちなみに概念さんとの出会いは松本。『発酵文化人類学』を読んで出版イベントに遊びにきてくれたのでした。概念さん、近々何かご一緒できたらよいですね。
昨日はめちゃ面白い人が集まっていましたが、なかでも「発酵文化人類学が面白かったので東京から遊びにきました!」と遠路はるばる松本にきてくれた精神科医兼ミュージシャン兼日本酒好きの星野概念さん(写真中央)!「精神の世界と発酵の世界はつながっているのでは…?」と話が盛り上がったぜ。 pic.twitter.com/r6jYackzfU
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2017年12月3日