42歳、本(ほん)おじさんになりました。死ぬほど仕事して死にたくない

42歳になりました。
誕生日5/215は2日後から始まる発酵ツーリズム東海の準備をしているうちに終わりました。
展示設営中にお祝いしてくれた東海チームのみんな、ありがとう!

さて。
42歳になりまして、厄年も終わりつつあり、ついに「本(ほん)おじさん」になりました。
本おじさんとは、本が好きなおじさんではなく「本格的なおじさん」のこと。30歳くらいからの干支ひとまわりは「前(まえ)おじさん」。そして40前半からのひとまわりが「本おじさん」そして50〜60代半ばまでは「後(あと)おじさん」。前おじさんは、人によっては「お兄さん」で通す人もいますが、本おじさんは誰がどう見ても言い訳できないおじさんなの。

心の火力が落ち、しかし責任は増し、焼き肉とか食べると次の日お腹が痛くてしょうがない。未来のことを考えるより、昔旅した場所、昔つるんでいた仲間の記憶を思い出すのが楽しい。
もう逃げられない。ごまかしの効かない360°全方位のおじさんワールドにようこそ!

おじさん、自分に根気強さに気づく

さて、そんな本おじさんなのですが、一つ良いこともありました。
若い頃にはなかった根気強さが備わったような気がします。

五味醤油に出会って発酵の仕事をするようになって15年。
10年前に山梨に引っ越して始めたご当地放送局YBSのラジオ番組『発酵兄妹のCOZY TALK』はこないだ500回を迎えました。

発酵デパートメントも2020年に始めて5周年を迎え、お店のポッドキャスト『ただいま発酵中』も200回超え。2019年に第一回を開催した発酵ツーリズム展も今回の東海でシリーズ五回目。今回はなんと10万人規模です。

規模が大きい仕事もあるけど、15年前からやってる手前みそワークショップも麹づくりワークショップもいまだに続けている。2014年に最初に出した絵本『手前みそのうた』からコツコツと本も出して、今年春に出したレシピ本『発酵デパートメントとつくる 今すぐハッピー最強発酵レシピ』で著書も10冊目になりました。

もちろん今でも山梨に住んでるし、ずっと発酵の仕事してるし、客観的に自分を見ていると「わりとブレずに活動を続けているひと」みたいな感じになってきたのではないかしら。

10代からつい最近まで、僕は自分のことを「飽きっぽいヤツ」だと思っていました。新しい刺激を求めてあれこれやっているようで、ここ10年くらいを振り返ってみると同じテーマ、同じ仕事を螺旋階段を登っていくように取り組んできたのではないかと思います。
周りが変化していくなかで「まだやってたのか」と思われるかもしれませんが、でもそういうヤツって安心感あったりするよね。

常にトレンドを意識して、常にポジションを変えながらインパクトを出す。そんな人生にかつての僕はちょっとは憧れを持っていたと思うんですけど、今はない!全然ない!!
僕はニッチ生物として世界をじゅうぶんに楽しんでいる。

転生してももう一回同じ人生がいい

「発酵のブームはいつ終わるんですか?」と1000回くらい聞かれているけど、もうブームとかじゃないからそもそも終わらないし、仮に終わったとしても僕はずっとここにいるし、なんなら10年後とかにまたリバイバルした時にも死んでなければ僕まだいるだろうし、死んで転生したとしてもやっぱり今と同じ人生を送りたいなと願っている。

渡り鳥としての人生は終わった。
オレは微生物界に生き、死んだら死体は焼かずに細かく刻んで麹と混ぜて漬け込んで調味料にしてほしい。そして一周忌とか三周忌に出す料理に隠し味として少量加えて欲しい。集まった親族とかに

「ヒラク君足すと、なんか味に深み出るよね」

とかコメントしてほしい。
僕はこれまでの自分の歩みを全肯定している。失敗も多々しているけれど、しかしこの生き方ができてとても嬉しく思っている。

しかし。しかしだ。
もう今までの自分の「好き」を燃料にがむしゃらに生きる時期は終わった。
「年相応に穏やかに生きたまえ」とかそういう話じゃない。

死ぬほど仕事するおじさんはほんとに死ぬ

20〜30代の頃の自分には想像もできなかったことだが、40前後くらいから死ぬほど仕事すると、ほんとに死ぬ。実際にそういうケースが身近に増えてきて、僕にとっても他人事じゃないと感じる。

ここ数年の自分は、ある日突然死にかねない生活を送っている(つらい)。好きな仕事であっても、心身に過酷に負荷をかけ続けるとおじさんは容赦なく死ぬ。おじさんは見た目に反して壊れやすい儚い生き物なんだよ。

ちゃんと事業で結果を出し、ちゃんとお金も回るのでチームで仕事ができる。そして僕が現場に入る時間を少しずつ減らし、ちょっと前のように本読みながらお昼寝したり、用事のない旅をして一時間くらいひとりで川眺めたりする時間を確保する。そうすることによって脆いおじさんの寿命は延びる。まだオレは死にたくない(そして突然死ぬと困る人もまあまあいる)。

もし残念ながら死んだとしても、僕が先人たちから渡された数百年ぶんの歴史が詰まったバトンを途切れされるわけにもいかない。ということで、今年は発酵デザイナーの肩書や発酵デパートメントの経営を少しずつちぎって誰かに渡せるように準備を始めることにしました。

本おじさんは「自分がいなくなった後の世界」に向かい合うお年頃。
大事なことは、第一に死なないこと。第二に死んでも大事なことを残せる方法を考えることじゃ。

追記:
ヒラクの誕生日を祝いたい!という気持ちがもしあれば、どうぞ発酵ツーリズム東海のプログラムに参加してください。7/13まで、100以上のプログラムがあるのでぜひ時間あわせてご参加あれ。

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小倉 ヒラク

発酵デザイナー。1983年、東京都生まれ。 「見えない発酵菌の働きを、デザインを通して見えるようにする」ことを目指し、全国の醸造家や研究者たちとプロジェクトを展開。下北沢「発酵デパートメント」オーナー。著書に『発酵文化人類学』『日本発酵紀行』など多数。