新著『僕たちは伝統とどう生きるか』の執筆を続けながら、南アジア〜ジョージア〜トルコを旅して、ようやく日本に帰国しました。
そのなかで、不思議な体験がありました。
原稿の最後にたどり着けず、何かが足りない…と悩んでいたところ、インド・デリー→ジョージア・トビリシのフライトが、イランの政変でキャンセルされ、デリー空港で数時間振替のフライトを待つことに。ロビーでうたた寝していたら。夢のなかで20歳の時に会ってほんの2.3言おしゃべりした精神科医の木村敏さんが出てきて、僕に
「”風土”のことを思い出しなさい。そしたら君の書きたいことがわかる」
とアドバイスしてくれたんですね。
ジョージアの滞在中に、木村さんの『人と人との間』と和辻哲郎の『風土』を大学生の頃ぶりに読み返して、本を最後まで書き通すための道筋が見えました。
(精神分析学と哲学でだいぶジャンル違うように見えるけど、木村敏さんは和辻哲郎の風土論の後継者なのです)
僕が滞在していたジョージアは、ちょうど東ヨーロッパと西アジアの境界にある国で、僕が昔住んでいたフランスはじめ西ヨーロッパ圏とは違う世界でした。僕の出会った限りではありますが、人の意識や外環境への意識にはアジア的と言えそうな要素がたくさんありました。
今回は伝統的なワイン醸造と、クヴェヴリというワインを仕込む大きな素焼きの壺の工房を見に行きました。ヨーロッパ的文化のワイン醸造ですが、ジョージアのワイン醸造は日本酒づくりに似た要素があり、発酵に向かい合うスタンスも日本に響き合うような要素がたくさんありました。
今書いている新著では、キーとして日本的な「風土」とヨーロッパ的な「テロワール」の違いについて書いています。
ヨーロッパ的な「テロワール」は、ものづくりをとりまく”自然環境”を指す一方、風土は和辻哲郎的な解釈でいえば、環境だけでなく環境からものをつくりだす人そのもの、もっと言えば人の「手」が含まれる。つまり「手」ロワールなんですよね。
テロワール「と」私、に対して、風土「は」私。
環境と自分の区分がない日本のものづくりの真髄は、風土そのものと化した人の手に宿っている。
日本の発酵の現場に長く触れ、ジョージアの醸造蔵を旅しながら「いかに人が自然と向かい合うか」という考え自体から考え直したほうがいいのでは…と思い始めました。
人と自然は向かい合ってはいない。
そして単純に人が森羅万象の自然に「内包」されているわけではない。「内包されている自分」を見るメタ視点はなく、森羅万象の自然にある一つひとつの部分と自分が「隣り合っている」という感覚。
この「隣り合っている感覚」は、僕が鵜飼の「かたらい」という文化から習ったことでした。
新著では、この「隣り合う感覚」から、ものづくりと伝統を解釈しなおすことはできないだろうか?という問いが中心テーマとして描かれます。
ちょっと予告ですが、3月頭から毎回恒例の事前予約祭りが始まります。
おなじみVALUE BOOKSと一緒に楽しい企画を仕込み中なので、ぜひお楽しみに。
4月刊行の講談社新書『僕たちは伝統とどう生きるか』どうぞお楽しみに。
Published by