「ビザンチウムの夜」がヤバすぎるほどハードボイルドでカッコいい。

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 眠れない夜に、アーウィン・ショーの「ビザンチウムの夜」を読了。

“往年の映画プロデューサーが突然カンヌ映画祭の社交界に現れる。メディア嫌いの彼がここにやってきたのは、命をかけたカムバックへの挑戦のためだった…。
時は60年代後半。「ウッドストック」のドキュメンタリーが映画界を席巻し、映画界は暴力と騒音と刺激が支配するニューシネマの時代へと差し掛かっていた。そのあおりを受け、かつてのハリウッド黄金期を支えた芸術映画は衰退していく。主人公が南仏で再会したのは、そんな衰退の最中にある「時代遅れ」の連中だった。
彼はプロデューサーとしてではなく、自分で書いた自作のシナリオを見せにカンヌへとやってきたのだが、かつてのプライドが邪魔をしてどうしても一歩を踏み出せない。
そこに登場するいかがわしい女ジャーナリスト、パリの愛人、かつての妻、久しぶりに再会する娘。複雑な人間関係と、どうしても振り払えない過去の栄光の残滓。執拗に彼を追跡するジャーナリストに根負けし、彼が語りだしたのは、華々しい成功の後に待っていた挫折と失望の数々だった―”

会話、情景描写、心理描写、どれをとっても一分の隙もないほど練り上げられていて、ヤバすぎるほどハードボイルドでカッコいい。チャンドラーとは違う、「知的な男の矜持」を感じるオトナの小説。そして出てくる女たちもめちゃくちゃ色っぽい。

そして何と言ってもいいのがラストシーンのバーの場面。死にかけで病院を出て速攻でバーに入る(しかも朝の11時笑)。スコッチにソーダをゆっくりと注ぎ、飲んだくれどもの下品な罵声を聞きながらゆっくりすする。

“「本当に生きていてよかった。こんなに酒がうまいと思ったことはなかった」。”

これがラストの一文。
サントリーのCMのキャッチコピーになりそうな素晴らしい結び。

いかにして男が生きていくのか、いかにして男が死んでいくのか、そんな静かな仁義と生き様が淡々と語られる。短編の「80マイル独走」的な快感が500ページに渡って続く至福の読書ですよ、コレは。

オトナの物語とは、年々複雑になっていく人生のしがらみ、そしてからみつくプライドや無様なこだわりを、「捨てない」ままどうやって対処していくかという葛藤から生まれるのですよ。

「面倒くさいものは断捨離ですよ」、「全ては唯一の愛に帰結するのです」的な安易な回答ではなく、一人の人間が背負った人生の重荷を精査し、分析し、じっくりとかみしめながら、その人間にしか辿り着くことのできない人生の新たなフェーズへと螺旋のように上り詰めて行く。

そして読者はその挑戦を固唾を飲んで見守り、時には共感し、時にじれったく思いながら、最後の一文を読み終えた後に深いため息をつき、『自分という物語』を同じように点検し、振り返ってみる。

その後はキッチンにいって、スコッチのソーダ割りを飲むのも良し、コーヒーを沸かすのも良し、深夜に電話に出てくれそうな親しい友人に連絡するのも良し。

「ああ、良い読書だったなあ。」
冬の夜は長けれど、総じて人生は短し。比べて読むべき本はいかに多いことか。
願わくば、これから出会うのは、こんな素晴らしい本ばかりだといい。

一文一文が綿密に練られ、悪も正義も、聖も俗も、男も女も、欲望も純真も曼荼羅のように写し出すような、無限の顔を持つキューブのような物語。それこそ僕が読みたい物語なのだ!

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