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真のセンスとは「見えない定規」を見つけること。

先週放送のラジオ、ゲストは岡山県西粟倉村で酒屋『日本酒うらら』を営む道前理緒さん。
ラジオ収録後、山梨で一緒に飲んだのだけれど、いやはや面白かった。

道前さんについて詳しくはこちら。
・酒うらら・おいしい酒でみんなを元気に!酒屋と出張バーで、場所もジャンルも、自由に飛び越える

バブル以降の地酒ブームには文脈があった

さて。彼女の日本酒に対するセンスは、いわゆる「日本酒好き」のおじさんと全然違う。
昨今の日本酒のなかで良しとされるのは、水のように澄んでキレがよく、メロンのような香りがする吟醸酒を冷やしてくいくいと飲む「東北型」のもの。

しかし道前さんがセレクトするお酒は、かすかな黄金色で、麹の旨味が詰まった燗酒で飲んで美味い「山陰型」のものだ。僕は北陸や東北で仕事することが多かったので、この「西の酒」の出会いはサプライズで、楽しいものだった(ちなみに僕の師匠である農大の穂坂先生も西の燗酒が大好き)。

・よい子の超・日本酒入門。美味しいお酒を探す旅に出よう

バブル以降に盛り上がった地酒ブームは冷たくて澄んだ端麗辛口の酒が主流だが、これには理由がある。それ以前の、高度経済成長期の酒は、合成アルコールを大量に添加してつくった、ベタッと甘ったるい、安いだけが取り柄の酒だった。そしてこの酒をいっぱい飲むには、熱燗にして味を飛ばさなければいけなかった。

スーパーで紙パックで1,000円以下で売っている日本酒を熱燗にして、ナイター見ながら飲むお父さん。これが「昭和のお父さん&日本酒」の原風景であり、日本酒というのは「とにかく酔っ払うために飲むもの」だった。

そんでね。
そのカウンターとして出てきたのが、端麗辛口の純米酒ブームだったのね。
熱くしてごまかさなくても飲める、キリッと端正で高級感のある酒。ただ酔っ払うためにではなく、嗜むための酒。しかし時代は2000年代を迎え、そのトレンドもOut of Timeとなる。

・酒とファッションはよく似ている。トレンドという逃れられぬ宿命。

朝廷の酒、民族の酒

前述の高度経済成長期に、発酵学者の坂口謹一郎博士が『日本の酒』のなかで、「今の甘ったるい日本酒ではいけない。日本酒は原点回帰しなければいけない」ということを言っている(ちなみにこの本はSPECTATORの発酵特集でも紹介しました)。

では目指すべき道は何なのか。坂口博士は「朝廷の酒」と「民族の酒」の2つの方向を示唆する。朝廷の酒とは、奈良・京都で醸造され、江戸時代に兵庫の灘で完成する、寒仕込み・純米・三段仕込みの「正統派清酒」の流れで、これは博士の予見した通り、地酒ブームによって復活したのであるよ。

・日本酒づくりの伝説「宮水」を訪ねに、兵庫県灘へ行ってきました。

いっぽう「民族の酒」はどうか。
ここで冒頭の道前さんの話に戻るが、彼女が見ているのは「民族の酒の系譜」のムーブメントなのですね。

澄んだ高貴な朝廷の酒に対して、濁った力強い民族の酒。中世のレシピを発掘する若い酒蔵が現れ始める今の時代を、坂口博士が予見した「第二のルーツの復活」のではないか…と僕は思うわけです。

真のセンスとは、「見えない定規」を見つけること

と鳥井くんがいうように、「すでに確立している定規のなかで優劣を見極める」というのは、二流のセンスなのね。

本物のセンスとは、まだ存在していない「見えない定規」を見つけ、それを見えるように定義し、表現することだ。

道前さんが見ている「価値」とは、かつて存在したが、今は見えなくなった「民族の酒」の価値だ。今はまだ彼女の価値観はメジャーではないかもしれないが、その「潜伏している感じ」がものすごく「ホンモノ感」がある。

西の日本酒マスターは、ホンモノの目利きなのであり、ホンモノの目利きは世の宝なのであるよ。

・世の中には二通りの人間がいる。「一流」を見つける者と待ち続ける者だ

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