タラレバ娘の最新刊(四巻)を読了。
今までで一番「心に刺さる」内容だったので、発作的にブログにまとめることにする。
序盤、映画好きのマッチョイケメン奥田くんとの恋がすれ違っていくさまの痛々しさはなんなのだろうか。「趣味があわない」ということに我慢がならない。でもそういうことに妥協できないから自分は今でも一人なのだと自問自答する。
「わかる〜!」と叫ぶ妙齢女子も多いと思う。いったい何がそんなにも痛いのだろうか。
ここにあるのは、男と女という社会的肩書の違うステークホルダーがお互いの利害のために「取引きをする」という関係性だ。
「寂しさを埋めたい」「安心したい」「ふれあいたい」という願望を相手に突きつけ、その要求がもし飲まれるならば「関係性を継続する」ことを選ぶ。
奥田くんは倫子さんに「あの映画を見ろ」「こんな髪型にしろ」と様々な要求を出す。そしてそれは奥田くんにとっては当然なのであるよ。だって「付き合うという契約をしたんだから、こちらの要求を飲んでくれるんだよね?」ということなのだから。
これはモデルとしてはクールなビジネス取引なのであるよ。
「ひとりはイヤだ」「ふれあいたい」というウェットな願望がベースでも、あり方としては「取引」。仕事でさんざん「取引」をして疲れて、だから恋がしたいのに、結局そこでも「取引」をしてしまう。
その救われなさが「痛い」。
ではどうすればいいのであろうか。
他人同士が一緒に生きていくということは「力を合わせる」ということだ。
寒さと飢えをしのぐために、社会の外圧から負けないように力をあわせて生きていく。これが家族の起源だ。
倫子さんと奥田くんはカウンターを挟んで「向かい合う」。
これは「力をあわせる」ではなく「取引をする」という関係性だ。
倫子さんが打ちひしがれるのはだれかと「力をあわせる」という生き方がわからないから。
「もう付き合えない」と打ち明けた倫子さんに、「楽しかったです、また飲みましょう」と応える奥田くんは「今回で契約終了となりますが、また機会がありましたらお気軽にご相談ください」と応える「いいヤツ」なビジネスマンだ。
その「いいヤツ」っぷりがまたツラい。
そして後半、KEYくんなのであるよ。
活目して見て欲しいのだが、レストランで待ち合わせた二人はテーブルに「横並び」になる。KEYくんは利己的な人間ばかり出てくるなかでレアな「力をあわせる」ということを知っている存在だ。
KEYくんが倫子さんに投げかける言葉は「オレに向かい合うな、オレのとなりに座ってくれ」ということだ。「仕事をあきらめるな」という励ましは「自分の人生の不足を他人に求めるから『取引』から抜け出せないんだ」というメッセージが込められている。
「オレはあんたとは恋愛できない」という言葉を言い換えると「オレはあんたとは『取引』したくない」ということなのだ。
「ねえこの人とうまく『取引』できると思う?」と女友達に言いふらしてまわる。何かが「ジャッジ」されないと、先には進めない。
(別に僕が言うことでもないけど)幸せというのは他人に「ジャッジ」してもらうものではない。他人といっしょに力をあわせて「つくりあげる」ものだ。
だから向かい合うのではなく、隣りあって二人で向こうに見える山に登りにいかなければいけない。
こう考えていくと『東京タラレバ娘』がハッピーエンディングを迎えるためのシナリオが見えてくる。スランプを脱した倫子さんが最高の脚本を書き、それをKEYくんが演じる。つまり「二人で力をあわせる」ということが現実になるということだ(果たしてそんなナイスすぎるエンディングは訪れるのだろうか?ハラハラ)。
タラレバ娘の登場人物が抱える痛みは「隣り合って山を見る」ことからの疎外だ。いくらイケメンと向かい合って、相手を理解しよう、肯定しようと努力をしてもそのぶんだけ孤独が深まっていく。ふれあえばふれあうほど深まるその孤独の底なしの深さに、今夜も全国のタラレバ娘たちは枕を濡らすのであろう。
倫子さんが不憫でならないよう(>_<)
【追記】KEYくんが「あんたとは恋愛できない」と突っぱねたとき、倫子さんはどうしたらよかったのだろうか?手を振りほどいて逃げるのではなく、無言でKEYくんをぎゅっと抱きしめてあげればよかったのであるよ、子供を抱いてあげるように。倫子さんがこじらせスパイラルから抜け出すにはこのような「文化人類学的愛」が必要なのだが、それができないのでこじらせているという出口なしの恐怖が『東京タラレバ娘』のハマりポイントだったりして。
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