逃避としての読書。

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何かを得るために、ではなく何かから逃げるために本を読む。

僕の本やブログ読んでくれたり、トークイベント遊び来てくれた人から「なんでそんなに色んなジャンルの本読んでるんですか?」と言われることがたまにあります(しかし知り合いの博覧強記の傑物たちに比べたら僕は小僧っ子レベルなので結構恥ずかしい)。

ただ確かに小さい頃から手当たり次第にやたらめったら色んな本を読んできたのは事実。でもそれは「知識をゲットしたい!」というアクティブな好奇心とはちょっと違っていたように思います。

逃げるために本を読む

思うに。
多感な時期にする読書は「何かを得るため」だけではなく、実は「何かから逃げるため」という側面も大きい。僕は身体弱くて協調性ゼロの性格だったので現実から逃げるために本を読みまくった。本を読んでるあいだは熱がツラい!とか友達いない!という現実から逃避することができるからね。

つまりだな。僕が「これだけの本を読んできた」というのは「これだけの現実から逃避してきた」ということに等しい。たくさん勉強して賢い人間になるぞ!という気持ちは一ミリもなくて、本を読んでいる間だけは自分の将来とかいう面倒くさそうなことを考える必要がなかったので没頭していたに過ぎない。

そう。読書は逃避。本を読んでいる時だけは空想のアルカディア(理想郷)で憩うことができるんだよ。

逃げるは恥だが役に立つ

しかし。社会人になってからの読書は、残念ながら「何かを得るための読書」になってしまいがちなんだよね。仕事に必要だから、とか教養が必要だから、という理由でする読書にはロマンがない。

最強に没頭できる読書は功利から離れた「非現実の孤島」で一人きりでするもの。でもいまや社会に出て現実と悪戦苦闘するおじさんになった僕にはその島に渡る船がない。涙

とはいえ。「どれだけ色んな世界に逃避したか」という経験は、意外にも社会に出てから役に立つ。社会の不条理に直面した時、例えば上司や顧客からパワハラ受けた時に、話を聞いたフリして「半分あっちの世界」に行くことができる。愚直に壁にぶつかって粉々になるより、逃げてしまったほうがいいこともある。

人の言葉や起こった出来事を真面目に受け取りすぎると生きづらい。
どんなエラい人が言った説得力ある言葉も、身に降りかかった苦境も「話はんぶん」で受け取るのがいい。

本で色んな物語、色んな思考のパターン、色んな領域の知識を得ることで世界を相対化するスキルをゲットすることできる。心の持ちようは簡単に変えられないので本を読んで「言葉とストーリーのサンプル数」を増やせば、不条理な現実からスススっと華麗な逃避をキメることができる。

この世界で成功した経験、勝ち取った経験だけじゃなく、別の世界に逃げおおせた経験もまた役に立つ。読書は逃避。そして逃避はロマン。人生にはロマンが必要だ…!

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