レヴィ=ストロースの偉大さとインセスト・タブーの謎について
twitterで読書のメモ代わりにレヴィ=ストロースについてつぶやいていたら、予想外の反応があったので、ブログのエントリーにまとめます。お暇な方はご一読あれ。
レヴィ=ストロースの思考回路
レヴィ=ストロース御大の本を再読。インセスト・タブーの分析は何度読み直しても鋭すぎて震える@西野カナ。
「女の交換」は市場原理では捉えられない。嫁入りの対価としての家畜や宝飾品は、交換の目的ではない。むしろ「共同体の再生産に必須なものを他人に渡さなければいけない」という義務が共同体に「永遠に他者と贈与を続けなければいけない」という「人間が人間たる所以」を規定する。
僕の研究している微生物には基本インセスト・タブーは存在しない。なのでこれは人類という種に固有の生存戦略なのだと思われる。ただ、その起源は謎に包まれている。(人間がつくったルールではないからね)
レヴィ=ストロース御大が凄いのは、何のためにインセスト・タブーが存在するのか?という問いを、インセスト・タブーをルールとするから人間なのだ、と差し替えたところにある。つまり、人間の上位にシステムを置く、という発想。この思考にサルトルはついていけなかった。
「構造」とはなにか
改めて読みなおしてみると、レヴィ=ストロース御大の定義する「構造」は奥が深い。御大の言う「構造」は、人々の行動を規定する「枠組み」のことではない。では何かというと「文化の多様性を生み出すゲームの規則性」だ。
明言しよう。レヴィ=ストロースは「ゲーム開発」の思考をしている。
「構造」は全ての現象が収斂して「結局政治とカネだろ(←ゴシップ)」あるいは「いや〜全部つながっているよね(←スピ)」と安易に思考をショートカットするものではない。「かように様々な文化が生まれるということは多様性を生産するレギュレーションがあるに違いない」という着想から生まれた。
「シンデレラ」の物語は、インセスト・タブーのルールから派生する「継子いじめ」のエピソードとして登場する。継子いじめは日本にも共通して見られる現象なので「米福糠福」というシンデレラの亜種がある。レヴィ=ストロースの構造とは「継子いじめ」という現象から物語が派生していく規則のことだ。
多様性を生み出す規則
レヴィ=ストロースの偉大さは「多様性を生産するためには、カオスではなく規則が必要である」ということを証明したこと。フィボナッチ数列(1,2,3,5,8,13…と前の二つの数を足す)という規則があるおかげで、無限の植物のバリエーションが生まれる。規則の本質は収斂ではなく拡散なのだ。
…とここまで考えてみると、僕のようなデザイナーやエンジニアはサルトルよりも実感的にレヴィ・ストロースを理解することができる。なぜかというと、プロダクトやシステムが人間の思考や行動様式をつくることを職業的に熟知しているからだ。
あらゆる現象は変化する。
しかしよく観察してみると「変化の仕方」には変わらないレギュレーションがある。その「変わりかたのルール」がレヴィ=ストロース御大の言う構造なのだな。
一つ例をあげてみよう。
「じゃんけん」のルールは構造ではない。じゃんけんのルールに納得できないヤツが「オレ、新しいじゃんけん作るわ」と言った時に彼が取り出すのは「三項対立」の関係性だ。グーチョキパーを犬猫ネズミに差し替えたり、三項対立ではなく四項対立をつくろうとしたりする。この時の「三項対立」が構造だ。
目に見える現象を規定する「目に見えない規則」を体系化するために、レヴィ・ストロースの出発点が数学と音韻論だったのは必然だった。現象から最小単位を取り出し、その関係性を図式化することで構造が見えてくる。「親族の基本構造」という本はつまりそういう本でした。
学生の時はお話として刺激的な「悲しき熱帯」や「野生の思考」が面白いとおもったけど、レヴィ=ストロースの際立って面白いのは、ゲームやデザインを設計するような「エンジニア思考」なのですよ。
いやー、レヴィ=ストロースは僕にとってオールタイム・ベストな「スルメ本」だわ。たぶん一生読み続けるな。