ポストSF世代から見るSF世代の想像力。

ポストSF世代から見るSF世代の想像力。

こんばんは、ヒラクです。

「ポストSF世代」シリーズ、しつこいけどまだやります。

エントリーを書きながら気づいたのは、「SFの想像力ってエクストリームだな」ってことで。

ナウシカでもAKIRAでも、スタートレックでもいいけど、国家規模とか地球規模とか宇宙規模で世界のルールが変わっちゃっている。

そこに至る過程で、

「他の国は全部技術革新をOKしたのに、インドだけ頑なにNOと言い続けた」

「インドを制圧しようとしたら、スイスが手のひらを返したように態度を変えた」

「スイスにその決断をさせたのは、外交官であるジェローム氏の緻密な作戦だった」

「ジェローム氏が孤立した時にサポートをしたのは老舗腕時計メーカーのCEOだった」

「そのCEOは、実はアーユルヴェーダとヨガに傾倒しており…」

みたいな感じの瑣末なあれこれは全部すっ飛ばして、いきなり

「20xx年、第三次世界大戦が突如として始まり、3分後には高性能核ミサイルにより世界の主要都市は壊滅した」

みたいな感じで、物語の舞台設定がなされてしまう(カフカの「変身」もビックリな唐突な世界設定)。

どうして人は、こういう極端な「SF的」なことを想像しちゃうんですかね?

考えてみましょう。

政治とか宗教とか経済とかが絡まりまくる複雑系な力学を「いったん脇においておけば」、人間のイマジネーションは自由に羽ばたきます。世界政府が樹立された世界でも、10人の支配者が世界の全てを統治する世界でも、謎の宇宙生物に侵略され尽くした世界でも、「作者の個人的なイマジネーションが100%世界の隅々まで浸透したMY世界」を作れるわけです。

つまり、SF的想像力の源泉は「自分が創造神になるという快楽」なわけですよ。

ペンで書くなり、映像編集ソフトで切り貼りするなり、コマに絵を割り振るなりして、「ゼロから自分のルールで動く世界」がつくれてしまう。

この快楽に突き動かされて、SF的想像力はものすごいことになっていったわけです。

さて。SF(的なもの)が隆盛して数十年が経ちました。

現代の技術を見てみれば、SFもビックリなガジェットとか兵器とか遺伝子工学とかがガンガン発明されています。だから、技術は「SFに追いつき、追い越しつつある」みたいな状態にある。

ところが「歴史」という観点で見ると、SFと現実は乖離し続けている。

それはなぜかというと、「世界のルールを自由に設定できるオレ・ワタシ」が世界のどこにも存在しないからなのです(自由に設定したいオレ・ワタシはたくさんいるけど)。

というわけで、数多の「世界のルールを自由に設定できるオレ・ワタシ」同士のシーソーゲームによって、「ナントカ経済圏」みたいなブロックができれば、海を超えた別の大陸でもそういうブロックができて、そのブロックの中で「名前だけ貸すつもりだったんだけど、大変だからオレいち抜けた」みたいなヤツが出てくる。

世界を滅ぼせるすごい兵器も、その技術を独占できない限りは牽制しあってうかつに使えない。

よって全人類的なエクストリーム状況は発生しない(まあしているけど、SFほどではない)。

「おいおい、ヒラクは何の話をしてんだよ?」

えーと、実は前回の話の続きです(そりゃそうだ)。



前回も使った図ですが、もう一度見てください。

縦軸でいうと、空中都市みたいなメガロポリスも、とんでもない超廃墟も実現しちゃってます。

これはつまり「技術軸」なんですよ。

でね。横軸でいうと、相対的にSF世界のほうが右によっている(つまり全世界規模)。

これはつまり「歴史軸」と言い換えられます。

技術は圧倒的に進歩したけど、人間同士の交渉事とか相反離別なんかの「コミュニケーション」の作法は、文化人類学的な時間軸を生きている(つまり進歩とかあんまりしてないし、そもそも進歩みたいな考え方が無い)。

さて、ではポストSF世代の僕たちはどんな未来を想像していくのだろうか。

ヒラクの暫定的な答えとしては、記事の最初にあげた「孤立するインドを擁護するスイスの外交官をサポートする時計メーカーのCEOの生活習慣」みたいな「解像度の細かい視点」で世界を見つつ、そのなかで技術をどう使うのか、みたいな感じ。

「オレ・ワタシが全てを設定できない世界」をスタンダードにする「禁欲的な想像力」で未来の技術やイケてる世界観をイメージしてみるってことだから、技術と同じ水準で「関係性」を重視する必要がある。

おお、そう考えるとついにマクルーハンが50年前に設定した「グローバル・ヴィレッジ」の世界観が標準になっていくわけか。

SF世代の想像力は「絶対的なものへの統一/回帰」に向かっていったのに対して、ポストSF世代の想像力はごくナチュラルに「細かいクラスター同士の相互依存」みたいな方向へ進んでいくのだな。

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小倉 ヒラク

発酵デザイナー。1983年、東京都生まれ。 「見えない発酵菌の働きを、デザインを通して見えるようにする」ことを目指し、全国の醸造家や研究者たちとプロジェクトを展開。下北沢「発酵デパートメント」オーナー。著書に『発酵文化人類学』『日本発酵紀行』など多数。