WEBで「系譜を継ぐ」ことは可能か?孤立系な合宿をしてきました。
先日、ブロガーの友だちが山梨の我が家へ遊びに来てくれました。
メンバーは、隠居系男子の鳥井くん、(チェコ好き)の日記のチェコさん、らふらく^^の鈴木くん、アナタドウ?のすらいむくんの4人。
今年に入ってから、ブロガーコミュニティとも交流がはじまって、その中でもこの4人は「好きなことしか書かない孤立系ブロガー」で、同じく孤立系である僕と仲良くしてくれるようになったのでした。
WEBの文法にあわせて、文化をリミックスできないか
で。
ご近所で仲良しの若尾くんがやっているブドウ農園を見学したり、峠の上にある異次元宿、雲峰荘に泊まってワイワイと「孤立系なりに集まって何か面白いこと考えよう」という合宿をやってきました。そのなかで見えてきたのが『ブロガーの再定義をしないとダメかもね』という課題。
えーと、僕個人としての問題意識として言えば「ブログを書くことを通して文化の系譜を継ぐことはできるのだろうか」ということなんだけどね。
言うたらですね、元々からの文学者や科学者がブログ「も」やっている、ということではなく、ブログをやっているひと「が」、文学や科学の系譜にトライしていくということ。
WEB上のコンテンツは、当然紙のコンテンツとは「文法」が変わってくる。
で、ブロガーってのは「WEBの文法」を熟知している人なわけね。そういう人たちが「古典」をWEB文法にあわせて再構築していったらどうなるのかしら?ってのが僕の最近の興味なんです。
文化の本質は、「系譜の連なり」だ!
文化ってのは、常に「継承されること」を望むわけです。
誰かが成し遂げた発見は、そこで終わりでなく次の人にバトンパスされる。今生きている人たちに読んでもらうためだけではなく、何かを書いたり表現したりすることは「過去に生きていた先人の問いに答える」という側面があります。
…というか断言するとですね、文化の本質とは「死んだパイセンへのリプライ」なんですよ。同世代の横の広がりとは別の、世代をいくつもまたいで「系譜を連ねていくこと」によって、僕たちは人間になってきた。
発酵食のレシピだって、病気の予防だって、川の氾濫の予防だって、民主主義だって、そういう「世代を超えた縦のつながり」が生み出してきた。
そのつながりは、「WEBの文法」にふさわしいかたちに編集しなおされて継承されるはず。
なのであるならば。
「ブログを書く」という行為も、そういう一連の文化人類学的慣習の一つになってもいいはずだ、と思っていてだな。そういう「ニューウェーブかつクラシックなブロガー文化人」として、今回のメンバーは良いパフォーマンスを見せてくれそうな気がするんだよね。
いやはや、楽しい合宿でした。みんな来てくれてありがとね。
「孤立系ブロガー、古典精読に挑戦する企画」、ぜひやりたいもんです。
というわけで、参加メンバーによるエントリー:
すらいむくんによるまとめ:
▶孤立系ブロガーはウェブの記事に新たな信頼をもたらせるか? ー 「孤立系ブロガーの集い」
鳥井くんによる合宿論:
▶これからは「飲みにいこう」じゃなくて「合宿にいこう」って誘いたくなる体験でした。
チェコさんによるWEB文体論:
▶「所詮は言葉遊び」からの脱出方法