僕のワークショップや、メディア取材の時にお伝えしていることを改めてブログでまとめておきます。
発酵デザイナーとしての僕の活動は、オープンな「共有知」です
昨年からはじめて、500人に教えた『DIYこうじづくりメソッド』は、自由に実践してもらっていいし、人に教えてもいい。僕はほとんど原価みたいな価格でやっているけど、プロの料理家として講座をやるなら、10万円とって儲けても別に構わない(もちろん仲介料もいらない)。
※でも人に教えるまえに、最低三回は成功させてからにしてね。
・“つくる人”を増やすための 発酵デザインワークショップ 小倉ヒラク 後編 | Colocal
五味醤油をはじめ、全国のアーティストや醸造家たちとつくったアニメーション『てまえみそのうた』と『こうじのうた』は、食育のワークショップや発酵文化の広報として自由に使ってもらっていい仕組みになっています。
何なら糀屋さんの販促利用や、リミックスも可能です(←実際に「マッスルNTTなどズ」による『てまえみそのうた』のハウスリミックスがラジオ番組のジングルになっていたりする)。
よく「てまえみそのうたのイラストを市の広報誌に使いたい」とか「保育園や社員研修に使いたい」という連絡がありますが、常識の範囲内であれば、僕に確認はいりません。どうぞご自由にお使いください。
なぜ「共有知」を目指すのか
「発酵業界は右肩下がりだ」という話を、この仕事をはじめた時にあちこちから聞きました。
食習慣が変わった、生産方式が工業化したとか。外部要因のことばかりその原因とされていましたが、僕は「それだけじゃないんじゃないか」と思いました。
そこには醸造に関わる人たちが『技術を囲い込んで見えなくした』という問題があるのではないかと考えたんですね(もちろん特許や商標の経営的問題に関わってくるので、単純な話ではないのですけど)。
お味噌を特許開発した◯◯博士、というものが存在しないように、発酵技術というのは無名のお母さんたちや醸造家がずっと継承してきたものです。
ところがずっと自分たちの手で継承してきた技術が見えなくなると、その技術は暮らしから遠くなる。短期的には普通の人たちから技術を取り上げることで利潤をつくりだせたけれど、世代を下っていくと「そもそもその技術はなぜ必要なのか」ということ自体が問われなくなる。
これは、めぐりめぐって醸造メーカー自身を苦しめることになります。つまり「よくわからないものなんだから、買わなくてもいいし、もし買うんだったらなるべく安いものでいい」というモチベーションで商品が買われることになるわけです。
だからさ。僕は逆のことやろうと思って。
それがつまり『技術をオープンにしていく』ということ。
無名のお母さんたちのやってきた情報共有を、もうちょいモダンなやりかたでやろうかなと。技術が理解できたら、スーパーで売られている発酵食品の価値ももっとわかってもらえるかな、と思ったんですね。
自分でつくるところから、文化がはじまる
お味噌でもこうじでも、自分でつくってみると「プロってやっぱスゴい」ということがわかります。ふだん当たり前に享受している味を安定してつくりだすことがいかに難しいかということに気づくわけです。
反対に、手づくりのものは原料の味わいが一切調整されていない「マジでワイルドな味」になるので、過剰に加工調整された市販品の違和感も感じるようになる。
これってつまり、受け手のリテラシーが高まりまくる、ということを意味しています。イケてるものにはちゃんと対価を払うし、ごまかしているものはすぐに見破る。
この関係性ってさ、つまり文化だよね。
層の厚い文化をつくるためには「まず自分でつくる」という事を起点にしてもいい、と僕は思うわけです。
「共有知」が目指すところは、豊かで層の厚い文化であり、その文化が育まれる土地はめっちゃ楽しいところなのだよね。
で、僕のスタンスは、たまたま「過去からのバトン」を受け取ったひと。受け取ったバトンを1000本くらいに増やして次のひとに渡せたらいいなあと思っているわけです。
と書いてみると、おおお、『ふしぎなポケット』の歌詞みたいだぞ。
ポケットの なかには ビスケットが ひとつ
ポケットを たたくと ビスケットは ふたつ
もひとつ たたくと ビスケットは みっつ
たたいて みるたび ビスケットは ふえる
そんな ふしぎな ポケットが ほしい