動くデザインからアニメーションへ。もうひとつの現実をつくる

▶︎ 読みもの,

今年は二週間前倒しで年末の仕事を片付けた。
長野県木曽町から依頼されたアニメの制作に集中するためだ。

アニメ制作は本当に大変だ。実はこれで4作目になるのだけど、毎回ノイローゼになりそう(そういえば去年の今頃も確か『こうじのうた』のアニメの追い込みをしていたな)。

で。今回の木曽町のアニメは4作目にして最大の壁にぶちあたっている。
ついに「本物のアニメーション」をつくるという段階が来てしまったのであるよ。

では『てまえみそのうた』や『こうじのうた』は何なのかというと、これは「動くグラフィックデザイン」なのであるよ。

「えっ、どっちもアニメーションなんじゃないの?」

うんまあそう言えなくもない、というか僕もそう思っていた。
しかし実はこの2つは別物なのだね。

「動くグラフィックデザイン」は基本的に「何らかの情報を映像として直感的に伝える」という表現だ。手前みそづくりや麹菌の生態を伝えるために歌と踊りと映像表現をチョイスしたわけね。

それに対してアニメーションとは、「もうひとつの現実」なのであるよ。
スクリーンのなかに、この世界とは違うリアリティをつくりだすことが、アニメーション作品の真髄であると、なんと4作目にしてようやく気づいた(←遅えよ)。

気づいたきっかけは「木曽の馬が高原を駆けていくシーン」を制作していた時だった。20秒くらいのシーンなんだけど、何時間かけても納得いくものがつくれない。馬の走り方に「快楽」が出ない。駆けていく馬の気持ちよさ、それをどうやったら表現できるだろうか…

と考えているうちにふと気づいた。
「そうか、これがアニメーション表現の本質なのか」と。

デザインにおいては、絵というのは「何かの情報を伝えるビークル」なのだが、アニメーションにおいては動く絵そのものが「見る者に没入感を与える舞台装置」だ。

馬が走るという「文脈」を追い求めるとデザインになるが、馬が走るという「気持ちよさ」を追い求めるとアニメーションになる。

そうか、そういうことだったのか。
僕が今回つくりたかったのは「もうひとつのファンタスティックな木曽のまち」だった。

よしじゃあ心機一転、アニメーション作品を目指すぞ!と気合を入れなおすが、しかし、

なかなか「自分のなかで気持よく感じるイメージ」を現実に再現するのがおぼつかない。

(木曽町の皆さま、大変お待たせしておりますが、いましばし……!)

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