なぜ20歳の大学生の多くが「安定」を望むのか?そこにはちゃんと理由があった。

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母校の早稲田大学文学部で講義をしてきました。

映画「千年の一滴」の上映イベントで出会った宮崎先生のお誘いで、150人くらいの学生に発酵デザイナーの仕事についてお話ししてきました(教室は、文カフェの上の38AV教室。なつかしー)。

発酵やデザインの話以外にも「学生たちのキャリアパスに役立つようなお話を…」というリクエストがあったので、このブログでよく書いているような「この先どうやってサヴァイブしていくか」という話もしてきたぜ。

地震に耐えるキャリアを作ろう

えーとね、要は「学生時代の僕が聞きたかったであろう話」がテーマだったのです。

で。まだ社会人になる前の子たちに伝えたい話として「地震で倒壊しない建物=キャリアを作ろう」ということがありました。

これはどういうことかというとね。
地震に強い建物ってのは、地面といっしょに「揺れる」んですね。地面が揺れても建物がピクリとも動かないと、基礎や構造が壊れてしまうのです(←むかし建築家の黒岩さんと都市計画の仕事をしている時に習った)。

今僕たちが置かれている社会状況ってのは「地面が揺れ始めた」状態。

そういう時に「安定を求める」というのは得策ではないと。むしろ社会の地殻変動とシンクロして「適切に揺れる」状態を仕事を通してつくっていくことが「何が起きてもサヴァイブできる力」を養うと思うのだな。

「安定」だけを求めて、既得権のメンテナンスだけをする職種や、社内の特殊な政治に時間を使うような大企業に就職すると、使い回しのきくスキルの積み上げが難しかったりするので、本当に大きな地殻変動が起きたときに倒れてしまう(おじさんはそれでも逃げ切れるかもしれないが、20歳のキミは違うんだ)。

なので「安定を求めて就職先/職種を選ぶ」という固定概念はきれいさっぱり捨てて、キャリアを通して何らかの能力を自分個人に「積み上げていく」という生き方をするのがオススメだよ、ということを話してきたんだけどさ。

安定を求める学生が多すぎてビックリしたぜ!

それでね。授業終了後のアンケートを読んでビックリしたんです。

「私は今までちゃんとした企業に就職して、レールにのって生きることが当たり前だと思っていました」的な感想があまりにも多いことよ(信じられないことに、半分以上のアンケートにこういうことが書いてあった)。

お…お前ら、マジか!?
マジでそんなこと信じているのか!?

マーケットやビジネスモデル、雇用制度の再編は、今まで「既得権」だと思っていたものに激しくプレッシャーをかけ始めている。そういう情勢はちょっと大学の外に環境を見回せばすぐわかるはずなのに。「そんなことヒラクさんに言われなくても当然のように知ってましたわ」というヤツが一人ぐらい出てきてもいいんじゃないの?

まったく若いヤツは世間知らずだ。
こんなヤツらに社会の未来は任せられん。
(…と嘆くようになったら、それはしょうもないおっさん)

「状況が急変する時代に、なぜか反動的に安定を望む若者」という状況は、いったい何を意味しているのであろうか。それは「若者が『はたらく』ということに対して絶望している」という事の裏返しであるとヒラクは思うのです。
「安定を望んでいる」というのは本心の言葉ではなく、「親や先輩みたいに、苦役のような仕事を何十年も続けて磨り減る人生はまっぴらごめん」だというのが本音なのであるよ。

「仕事は苦役だ」という前提に立つならば、「どうせやんなきゃいけないんだから、ラクしたい」と思うのが当然。そもそも期待していないものに好奇心を働かせてリサーチするなんて無理な話だと思うんだよね。

「いやいややるんだから、リターンが保証されているものじゃないとやってられないよ」

という諦めの念が、「安定したい」という願望に変換されて出力される。

「感度の高さ」と「抑圧」があわさってねじれた願望が生まれる

この責任は、ひとえに僕たち先輩にある。

僕たちが彼/彼女たちに「いやいや、はたらくってのもいいものなんだぜ」ということを真摯にプレゼンできなかったことが、この事態を引き起こしている。

鳥井くんが書いているように、20歳の子には「感度の高さ」と「不快なものを押し殺す力」が同居している。「この社会はロクでもない」ということを認知するアンテナと、「それでもガマンして受け入れる」という無意識な抑圧が、「変化する時代に安定を望む」というねじれた願望をつくりだす。

さて。僕は、彼らに対してきちんと反論できるのだろうか。

『絶望するにはまだ早い』

とかね。

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