なぜ渋谷駅が使いづらくなったのか、深く考えてみた。

渋谷駅が使いづらくなった。

2012〜2013年の大改修で、地下鉄や東急線への乗り換えが激しく不便になった。ヒラクがよく使う井の頭線→東急東横線の乗り換えは、以前の5倍くらい歩いたり潜ったりをしなければいけなくなった(←あくまで体感ですが)。実際、渋谷駅の乗客者数も減っているらしい。(2013年は、前年比8%減だそうな)。

「設計者は誰だ!何を考えているんだ!」

とお怒りの方も多いと思われる。

けどね。

建築家を甘く見てはいけない。

導線のカオス化と、乗客者数の減少はむしろ「意図的に想定したもの」なのであるよ。優れた建築家は、常に「都市全体」あるいは「人間の文明総体」を俯瞰しながら、個別の建築をつくる。

渋谷という街を俯瞰して見たときに、建築家は思った。

「人が多すぎる。こんなにも人が集まる場所は、我々の文明には必要ない」

しかし。

駅の交通広告に「渋谷駅を使うのはやめましょう」「特別の用事がないひとは、渋谷駅に来ることを控えましょう」なんていうポスターを貼ったところで、渋谷に集まる人の群れを減らすことはできない。

ではどうするか。

「来たらうんざりするような空間」を設計するのである。

方向感覚が狂うような複雑な導線をつくり、無機質な空間をひたすら登ったり潜ったりさせ、そこに追い打ちをかけるように中世のカテドラルのような巨大な伽藍をつくり、「お前たちは巨大なシステムに操られる迷える子羊でしかない」という威圧感を与えることで、「こんな思いするぐらいだったら、池袋のヤマダ電機で買い物したほうがマシだ」あるいは「成増の赤ちょうちんでホッピー飲んだほうがマシだ」と思わせるのである。

かくして、渋谷駅に集う人はじりじりと減少していき、「適正人口」に近づいていく。

欲望が異常集積・発達した魔都SHIBUYAは健全さを取り戻し、センター通りには朗らかな陽光が射し込み、宇田川町の植え込みでは小鳥がさえずり、宮益坂のアスファルトの割れ目から湧き水がしみだし、純真な子どもたちが笑いさざめきながら道玄坂を裸足で駆け上り、今や深い森と化した百人町の角を曲がり、ストリップ劇場やラブホテルの廃墟でかくれんぼなんかをして遊んでいるのである。

建築家の眼差しはかようにも深く、はるか遠くの未来を見通しているのだよ。

だから、「ああちくしょう、代官山に電車乗り換えて行くぐらいなら、歩いて行ってやらあ」とか思っちゃダメだよ。

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小倉 ヒラク

発酵デザイナー。1983年、東京都生まれ。 「見えない発酵菌の働きを、デザインを通して見えるようにする」ことを目指し、全国の醸造家や研究者たちとプロジェクトを展開。下北沢「発酵デパートメント」オーナー。著書に『発酵文化人類学』『日本発酵紀行』など多数。