気がつけばリアクション人間〜続コンテンツジャンキーについて

ヒラクです。いつの間にか桜満開。春ですね。

今月はじめに、WEBにおいて「書く」って、誰にとっての何のため?〜コンテンツジャンキー化について考えるというエントリーを書きました。

今日のエントリーはその続き。「リアクション人間」について書こうかなと。

※ちなみに「コンテンツジャンキー」というネーミングは、SUGIURA Taichiさん発案。そのセンスにリスペクトを評して注釈。

不特定多数のリアクション人間が見える化した。

例えばfacebookのタイムライン。

巷を賑わす政治的なトピックスとか、芸能界のゴシップ情報とか、面白ネタがシェアされてどんどん流れてくる。

でね。

それを観察してみると、必ずそのコンテンツについて「けしからん!」とか「許せん!」とか「泣いた!」とかリアクションしているひとがいるわけです。

これって、今では当たり前の風景になったけど、実は非常に「新しい現象」なのでは。

“Look back in anger”(邦題:怒りを込めて振り返れ)っていう、イギリスの階級社会を描いたドラマがあります(オアシスの曲じゃないですよ)。

この中で、主人公が新聞に向かって延々とグチを言い続けるシーンがあるのね。自分の生活と直接関係ない出来事について「けしからん!」「許せん!」とリアクションし続ける様が印象的に描写されています。

彼は典型的なリアクション人間なわけですが、このリアクションっぷりって、基本的に彼の身の回りの人以外には見えない。なんだけど、物語という装置のなかで、観客は舞台の外という仮想空間からリアクション人間の仕草を見ることになる。

はい。

今起きていることは、その仮想空間がSNS上に発生し、不特定多数のリアクション人間が見える化したということです。

タイムラインに流れてくる情報に反応しているだけの日々。

ここまでが「リアクション人間を見る側」の視点。

ではここから「リアクション人間側」から考えてみましょう。

これまで、人は新聞やテレビというマスメディアの情報を、お茶の間で人目を忍んでリアクションしていた(家族を除く)。

とすると、「お茶の間から離れればリアクション人間化はいったんストップした」という考えもできそうです。情報は、ある条件において、一方的に受信するものだったわけで。

ところが、SNSのタイムライン上やブックマークの情報は、自分が望む時にいつでも受信できます。ということは、自分の望む時にいつでもリアクション人間化できるということです。

要は、24時間エブリタイム・ジミー(←Look back in angerの主人公)ですよ。

いやあ。

この状態って、ある意味「リアクションジャンキー」ですよね。

「政治家の◯◯は許せない」

「エネルギー政策は、△△でなければいけない」

「××の国で起きたこのエピソード、マジで泣ける」

……いや。一個づつ見てみたら別にまっとうな意見かもしれない。

なんだけど、明けても暮れても自分の生活から距離の離れたことに対してリアクションをしているだけだとしたら、アナタの人生はどこにあるのよ?ってことになるじゃん。

「でもさ(以下、A子さんによる反論)。」

「SNSのタイムラインで流れてくるのって、友達からの情報じゃん」

「だから、なんか『自分に関係ある情報』なのかな〜って思っちゃう」

「友達に『違うよ!』って意見する感じでリアクションしちゃうんだな」

「で、自分のシェアに対して、友達が『ワタシも違うと思う!』ってコメントしてくれると、何か意味あることした気になる」

「…………」

「あ〜、でも。『気になるだけ』で、別にそれがワタシの人生を変えるわけじゃないもんな〜」

「…………」

「でもでも。例えばだよ。そのコメントが10万人になったとするじゃん。そしたら世界が変わるかもよ?」

「だとしたらさ。実はまだまだリアクションが足らないんじゃないの?」

うぬぬぬぬ(汗)。

Don’t react in anger.

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小倉 ヒラク

発酵デザイナー。1983年、東京都生まれ。 「見えない発酵菌の働きを、デザインを通して見えるようにする」ことを目指し、全国の醸造家や研究者たちとプロジェクトを展開。下北沢「発酵デパートメント」オーナー。著書に『発酵文化人類学』『日本発酵紀行』など多数。