今年の春先くらいから、よくわからない憂鬱とプレッシャーを感じていた。
去年出した『発酵文化人類学』の評判がびっくりするぐらい独り歩きして、美術館や科学館の企画で分不相応なオファーがあって「さらに前を目指して頑張るぞ!」という情熱がたぎっている!
…ような気がしたんだけどさ。
今年の前半戦の大仕事が色々終わって、細々とした仕事を後回しにしてとりあえず数日間山梨の我が家で休むことにしたお盆休み。掃除や料理や庭仕事しながらひたすらゴロゴロする軟体動物と化していたら、ここ二年くらいの疲れがどっとやってきて、その重たい疲れがはがれてくるころに今度は自分がけっこう無理してきたことに気づいてしまった。
なにを「スゴいヤツ」になろうと頑張っているんだ、自分よ。
僕は立ち向かう人ではなく、逃げてきた人だったはず、なんだけど。
ここしばらく、たまたま運が重なって仕事で人から期待されてうっかり自分のことを「やればできる人」のように思い違えていたことに思い当たったんだよ。
僕が今こういう生き方をしているのは、自分に強い意思があったわけではなく、とにかくイヤなことから逃げてきたらたまたまデザインの仕事に行き着いて、その後微生物の道に入って発酵デザイナーになっていたにすぎない。
高校生の頃にバックパッカーになったのは、高校で友だちができなかったから。フランス行って美術の勉強したのもビジネスマンになる自分がイメージできなかったからだし、デザイナーで起業したのも自分がサラリーマンに向いてないと思ったからだし、デザイナーの道での挫折が微生物への道に入るきっかけだし、東京で忙しく仕事するのイヤだから山梨の山の中に引っ越した。
全部消極的!逃げて逃げて逃げまくったらここにいたんだよ!
競争に勝ち抜いたり、自分に打ち克ったり、上へ上へと急ぐ人生がイヤだったので山の中に引っ越して道楽みたいな生き方を選んだんだけど、結局人の期待や評価に一喜一憂しながらめちゃ頑張ってしまっている。
別に自分に向上心がないとは思わない。せっかく一生懸命仕事するんだったら何かしらインパクト出したいとは思う。思うんだけど、基本は「イヤなことから逃げてきた」という最初のモチベーションを忘れるとヤバい。頑張るのが苦手な人間が努力すべきことは、頑張らなければいけない環境に自分の身を置かないようにすることのはずだ。
なんだけど最近の僕は誰に言われてもいないのに頑張るモードに入っていた。
これはマズい。絶対に死ぬ!プレッシャーでぺしゃんこになって死ぬ〜!!
高みを目指して「立ち向かう人になる」というのは、謎にヒロイックな快感がある。
しかしそこに発生するプレッシャーに耐えられる人と耐えられない人がいる(例えば僕とか)。自分のルーツが「逃げてきた人である」ということを忘れないようにしないと、僕にはロクな未来が待っていないであろうよ。
別に誰に相手されなくても、微生物の世話したり山歩いたり本読んだりしてれば、それが僕にとっての満足な人生なのだから。
のんびりしたヤツにも、時には外に出て頑張らなければいけない時期がある。それが今であることは百歩譲って認めよう。でもそれはあくまで非常事態であり、速やかに事態を収拾してまたのんびりライフに戻らなければいけいないのだよ。
僕は全力で立ち向かわない人生を送りたい!
現状たいへんラッキーなことにやりきれないほどの仕事の依頼が来ていますが、僕は小心者なのですでに「世間から飽きられるタイミング」にフォーカスをあわせて働きかたの設計をしています。世界は諸行無常なので陳腐化しないトピックスはないし、自分の感性もそのうち時代にそぐわないものになります。
— 小倉ヒラク | Hiraku Ogura (@o_hiraku) July 19, 2018
センスや発想力、溢れ出る自信みたいなのは「期間限定レンタルの神通力」だと思っておくのが吉です。自分の所有物だと思うと失うのが怖くなるので、「えっ、一週間も貸してもらえるの?ラッキー!」ぐらいな感じだと長い人生に絶望しなくてもいいよね。感性も運も出会いも稼いだお金も基本はレンタル。
— 小倉ヒラク | Hiraku Ogura (@o_hiraku) July 19, 2018
【追記】僕がいかに立ち向かわない人間であるかは下記のエントリーで確認されたし。