いつの間にか3年目を迎えた食のWEBマガジン『アマノ食堂』の連載。
今年6月に掲載されるはずが、僕の出版ツアーのドタバタやらメディア運営元の社内事情やらが重なってお蔵入りになった記事を僕のブログで蘇らせることにしました。
出版ツアーが落ち着いたので連載も再開しています。最新回は以下(外部リンク)。
・【第26回】ミャンマー・シャン族のローカル納豆に見るアジア的発酵薬膳のルーツ
・【第27回】胃弱ボーイズ&ガールズに朗報!「フランスの外食重たすぎ問題」攻略法
アマノ食堂さん、これからも引き続きよろしくどうぞ。
カルピスに受け継がれる、遊牧民族の発酵健康ドリンクの系譜
味噌汁飲んでますか?発酵デザイナーの小倉ヒラクです。
僕の住む山梨では、梅雨が来る前に真夏が到来してしまいました。皆さま夏風邪など引いていませんか?
さて。今回のテーマは編集部からお題をもらいまして「カルピス」です。
誰しも子どもの頃に一度は飲んだことがあるであろう、あの水玉のパッケージの甘酸っぱい飲み物。
ちなみにカルピスをつくっているカルピス株式会社はこのWEBマガジンを運営母体の関連会社(アサヒグループ)。つまり、
「ヒラクさん、カルピスのPRプリーズ!」
というお願いなのですが、僕はこの連載では特定の商品をアピールすることは原則しないことにしています。なんだけど。このカルピスの文化ってのは大変に奥深くかつ面白いので、
「好き勝手にカルピスのこと書いてOKならやりますよ!」
という了承のもと。カルピスの秘密を紐解いてみることにしました。
さあそれでは行ってみよう!
乳酸菌マニアのメチニコフと日本の乳酸菌ブーム
いきなり壮大な話になって申し訳ないのだが。カルピスを語るためには、日本における近代の黎明期から語らねばならない。
パスツールやコッホと並ぶ、微生物界における巨人の一人にメチニコフという超奇人の学者がいます。彼は免疫システムの存在に気づいた先駆的な生物学者なのですが、晩年はヨーグルトにめちゃくちゃハマっていました。
当時ブルガリアのローカル発酵食だったヨーグルトを「これを食べれば乳酸菌が腸内を腐敗させる菌が繁殖しないようにさせる。つまり不老長寿食である!」と大絶賛し、世界各地に「第一次乳酸菌ブーム」を巻き起こしました。
このブームの余波は日本にも及び、1912年には大隈重信の強力プッシュのもとメチニコフの論考を『不老長寿論』というタイトルで翻訳。「日本人の健康を乳酸菌で健康にするぞ!」と気合を入れたのか、1914年には大隈重信は首相に返り咲き、日本における乳酸菌ブームを推進していきます。
20世紀初頭のこのムーブメントに前後して誕生したのが、後の日本の健康食を支えることになる国産ヨーグルト、そして乳酸菌飲料の代表格であるカルピスなのでした。
みんな、知ってた?カルピスって歴史ある発酵食品なんですよー!!
カルピスのルーツ
カルピスのルーツを辿ってみると、創業者の三島海雲さんが内モンゴルでたまたま見かけた乳酸食品がヒントになっているそうな。
これは馬の乳などでつくられる、アイラグ等と呼ばれる乳酒の一種(酒といってもアルコールはほとんどない)を加工してつくられる酸っぱい乳製品。
カルピスに含まれる微生物及び発酵プロセスの詳細は公開されていないのですが、この乳製品の文化を詳しく見てみるとカルピスの謎がちょっとだけわかりそう。
アイラグを加工してつくる乳製品は、家畜の乳を乳酸菌と酵母菌で発酵させて健康機能を高めた乳飲料。ポイントは関与している菌が乳酸菌だけではないこと。ヨーグルトでは通常乳酸菌しか関わっていないのですが、ここでは10種以上の乳酸菌の他に、乳に含まれる糖分をエサにする複数の酵母菌も加わって複雑な発酵が行われます。
酵母菌が発酵すると、かぐわしい香りと味のコクが加わります。これが乳酸菌のつくる爽やかな酸味とあわさることで、ヨーグルトとは明確に違う風味をつくり出すのだな。
この乳製品には様々な健康機能があるとされていて、モンゴルや中央アジアの国々では肺炎などの呼吸器系の疾患や生活習慣病などに効き、発酵菌たちがつくる多量のビタミンCが含まれるため、野菜を豊富に取れない遊牧民の滋養強壮ドリンクとして重宝されてきました。
ただし欠点もあります。それは「保存がそんなに効かない」ということ。牛乳そのものよりは長持ちするのですが、しばらくすると味が劣化し、雑菌の混入(コンタミネーション)が起きてしまう。だからアイラグのようなものは遊牧文化特有のローカル発酵食品なのですね。
さて。ではカルピスはどうなのかしら?
乳の種類の違い(馬or牛)はあれど、乳酸菌と酵母菌を両方働かせるあたりモンゴルの乳製品と同じような機能を持っていそう。牛乳を最初に脱脂(油分を取り除くこと)するので、口当たりはマイルドというか生臭くない。
そして大きな違いは保存性。スタンダードカルピス(原液濃縮タイプ)の成分表示を見てみると、酸化防止量や保存料は入っていない。しかし室温で何ヶ月も持つ(開封しても冷蔵庫ならけっこう持つ)。この保存性の高さは、
・ 出荷時に加熱・密封して発酵菌の働きを止める(風味が変質しにくい)
・ 高い糖分によって腐敗を防ぐ(ジャムと同じ原理)
・ 乳酸菌の出す酸によって雑菌の混入を防ぐ(ヨーグルトと同じ原理)
などのオペレーションによって担保されている。カルピスは原液を割って飲むのが基本のスタイルなのだが、そこには保存料を使わずに腐敗を防ぐという工夫があったわけだ。よくできてるねえ。そもそもカルピスが発売されたのは今から100年前のこと。今のように発達した保存技術はなかったので、発酵の知恵によって防腐機能を持たせたんだね。
菌が生きてないと意味がない?
「えっ、そもそもカルピスって発酵食品なの?」
と驚いた人も多いと思いますが、このコラムを読んで
「えっ、乳酸菌生きてないんだ!」
と思った人も多いことでしょう。そうなのよ。ヨーグルトやヤクルトをはじめとする乳酸菌飲料と違って、カルピスのなかに生きている菌はいない。
「じゃあ発酵の意味なくない?」
と不安になるかもしれないが、そうではないのさ。
発酵菌がいなくなっても、発酵菌が作り出した有用物質が入っていることが大事なんだ。乳酸菌や酵母がつくり出す有機酸やアミノ酸、ビタミンやペプチドなどが入っているカルピスは、発酵食品ならではの健康機能を持っている(たぶん)。
過去の乳酸菌に関するコラムでも説明した通り、大事なのは「お腹のなかが元気になること」で、そのためには発酵菌が必ずしも生きて腸に届く必要はないんだね。
・【第24回】乳酸菌は腸内の『怒りのデスロード』を疾駆するマックスだ! | アマノ食堂
僕もこのコラムを書くために久しぶりにカルピスを飲んでみたのだけど、思っていたよりずっと爽やかで美味しくてビックリ。スタンダードな濃縮タイプを炭酸水多めで割って飲んでみたら、こないだのジントニックのコラムのような「オトナのカルピスソーダ」になっていたので、休肝日はカルピスでキメたいとおもいます( -`д-´)キリッ
・【第25回】ジントニックを飲めば、バーの哲学がわかる?奥深きシンプルカクテルの真髄 | アマノ食堂
いやはや、実に奥が深いカルピスの世界。小さい頃は「甘酸っぱくておいしー!」と無邪気に喜んでいたものですが、ここにも発酵のチカラが働いていたとは…
カルピスの皆さま、今度ヒラクに色々教えてくださいね。
それではごきげんよう。
【追記1】ちなみにメチニコフの「乳酸菌不老長寿説」ですが、20世紀半ばまで「菌が人体のなかで生きていけるわけないだろ」という理由で「トンデモ学説」扱いされていましたが、ここ最近の解析技術の超発達により乳酸菌が腸内細菌の生態系に良いフィードバックをもたらすことがわかり、あらためてメチニコフすげー!ということが証明されました
(余談ですが、酒もタバコもやらずヨーグルトを食べまくったメチニコフは、71歳という微妙な歳でこの世を去りました。言っとくけど、発酵は万能じゃないからね!)
【追記2】ちなみにアイラグをはじめモンゴルの乳製品に詳しく知りたい人は、石毛直道さん他著の『モンゴルの白いご馳走 大草原の贈りもの「酸乳」の秘密』(チクマ秀版社)をどうぞ。