KDDIによるnanapi買収について考える。大義を追求することの重要性
10月は忙しい。
グッドデザイン賞やクラウドファンディングの反響があり(嬉しいぜ)、デザインやイベントの仕事で色んな地方を旅して、その裏で新作アニメの絵を地道に描きながら農大に通い、さらに来年出る本の準備までしている。こう書きだしてみると、すごいマルチタスク人間のようではないか、自分。
一日のなかで全然違う仕事をしているので、様々なジャンルの情報がインプットされて脳内が混乱気味なわけで。そんななかでブログを書くのは難儀なんだけど、ノートしておきたいことがある。
KDDIによるnanapi買収ですよ、奥さん。
nanapiといえば、WEBコンテンツを扱うスタートアップのお手本のような会社。
自社メディアをしっかり育てつつ、手堅く受託開発で収益もあげつつ、外部からの資金調達も確保して、とてもバランスのよい会社だな〜と思っていたんです。
で、このタイミングでの買収。絶対単なる身売りじゃないなと思っていたら、こんな記事が。
•「スマホコンテンツバブル」がやってくる
(ちなみにクラシコムの青木さんのタイムラインから流れてきました。いつも濃密な情報提供ありがとうございます。多謝。)
WEBコンテンツ商売の限界
“「日本のウェブコンテンツは総じてクオリティが低い」ーーこれは、コンテンツ創りのプロのみならず、読者の多くも感じていることだろう。
今のウェブメディア界は、ページビュー(PV)至上主義に陥り、芸能ニュースなどの軽いコンテンツや、大げさな見出しをつけた煽動的なコンテンツがあふれている。著作権に問題のある、コピーコンテンツも多い。
こうした現状を生んだ最大の要因は、ウェブの脆弱な収益モデルだ。現在のウェブメディアは、PV連動型の広告モデルが主流だが、その単価が極めて低い(一般的に1PV=0.1〜1円)。そのため、どう安いコストでPVを稼げるコンテンツを創るかばかりに、意識が偏ってしまっている。
一方、新聞社、出版社、テレビ局などの大手メディアは、ウェブ領域に本腰を入れていない。既存の紙やテレビのビジネスを食うおそれのある、ウェブへの投資には及び腰だ。たとえ投資をしたとしても、早期の黒字化を求めるため、事業が小粒になってしまう。”
このくだりを読んで「なるほど」と思ったのだな。
WEBコンテンツは、それだけでは「持続性のあるビジネスモデル」にはならない。紙媒体よりもページの解析が精密にできてしまうので、単価が安くなってしまう(高級ファッション詩の見開き広告何百万、効果は実際よくわかりません。みたいなことはできない)。
ではマンガのように、コンテンツ自体を数百円で読者に買ってもらえばいいんでねえか、ということになるが、これも実際「ベンチャー」としては上手くいかない。こないだサーチフィールドの琢磨くんと話していてよくわかったのだけど、無料ではなく、買ってもらえるレベルのマンガをつくるためには、しっかり漫画家に投資をしなければいけない。しかも、「売れたら歩合でバックします」ではなく、「事前に調査して、何話か描き溜めて、編集者もついて…」というように、先行投資が必要。しかしこのやり方はある意味ITベンチャーの強みである、先行投資のハードルが低く、かつ利益率が高い、というポイントに反してしまう。
こういうジレンマがあるから「WEBコンテンツは質が低い」ということになる。で、
“つまり日本では、ウェブコンテンツにおカネが十分に投資されていないのだ。当面の赤字覚悟で大胆に投資するプレーヤーがいないことーーそれが、日本のウェブメディアの最大の不幸だった。”
ということになる。
ここから僕が割り出した結論としては、「既存の出版モデルはよくできている」ということ。
衰退しているとか、制度疲労を起こしている、とかあれこれ叩かれているかもしれないけど、「コンテンツを持続的なビジネスにする」という意味でいえば、なるほど優秀なのだな。
nanapiの抱えていた課題は「いくらユーザー数が増えても、事業がスケールできない」ということなのだと思う。そこそこは行くけど、「インパクトのあるビジネス」にはならないし、いくら続けても↑の理由でコンテンツの質が向上しない。
クレバーな経営者だったら思うよね。「ややや、これはジリ貧ではないか?」と。
通信キャリアの傘の下で大義を追求する
てなわけで、通信キャリア大手のおでましということになる。
通信キャリアとはつまり「社会のインフラ」であり、産業スケールが桁違いででかい。で、要はWEBコンテンツが「スマホのシェア獲得のための会員特別サービス」になるよって話になる。つまりWEBコンテンツ産業の現在もっているキャパシティは、通信キャリアの「販促費」のなかに収まってしまうんだぜ、ブラザー。
でね。僕はこれはあながち悪い話だとは思わない。
なぜかというと、WEB業界のジリ貧な利益構造から解放されて、ようやく「有益なコンテンツをつくって世の役に立つ」という大義名分を追求することができるから。
ちょっと話は変わって。僕最近出版社と仕事をすることが多いんだけど、出版業界ってやっぱりどこか浮世離れしているというか「ビジネスが至上目的になっていない」ところがある(特に僕が関わる出版社は)。
じゃあ何が目的なのかというと「面白い本をつくる」「世のためになるコンテンツをつくる」ことなのであるよ(こうやって書くとバカみたいに単純だけど)。大手の出版社ではなくて、特定のニッチ領域に強い専門出版社になるとその傾向はますます強まっていく(例えば農文協)。
もし例えばnanapiがスマートパスのコンテンツになった場合、指標が独立した事業体とは全然違うものになるだろうね。「どのコンテンツがいくら稼いだか」という切迫した話ではなく、「auのシェア獲得にどれくらい寄与したか」みたいに「雲の上感」が出てくるので、がぜん優雅なモードになってくる。「フィードバックが返ってくるのは来月か再来月です」みたいなことになると(僕、業界の感じがわからないけど)、つまりKDDIが「nanapiのパトロン」のような存在になる、ということも考えられる。
戦後、高度経済成長期の出版業界の様子を描いた「くちぶえの歌が聴こえる」という本があるのだけど(嵐山光三郎の自伝エッセイ。面白いよ)、これを読む限り、出版社が発展した時期というのは関わる人たちが狂ったようなテンションで「面白いものをつくる」ことに熱中していたのだと思われる。
今回の買収の一連で感じたのは、「新興の産業が突き抜けるためには、一度ビジネスモデルの枠からはみ出してでも大義名分を追求することが必要」ということ。そしてコンテンツビジネスの大義名分とは、「面白いコンテンツをつくる」ことにほかならない。
大義名分の追求が可能になるならば、M&Aも一つのクリエイティブな解決法だということになるのだな。なるほどね。
【追記】ちなみに僕がnanapiのことに興味をもったのは、代表のけんすうさんが「ドラゴンボールの本質は「学びの継承」にあった!〜亀仙人の卓越した教育法〜」というエントリーをリツイートしてくれたのがきっかけ。おかげさまで今まで書いたなかで最もPVの多いエントリーになりました。