作者が描いた世界が滅ぼされる快楽。ミシェル・ウェルベック『滅びる』

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ミシェル・ウェルベックの新作小説を読んだ。
ウェルベックの世界はフランス特有の意地の悪さ、もっと言うと「世をあきらめているくせに妙に粘着質になってしまう諦念」みたいなフィーリングが凝縮されていて、フランスにいた頃の懐かしい気持ちになる(『地図と領土』『セロトニン』あたり最高だった…!)。

さあいつものウェルベック節を堪能させておくれ…!
と期待して読み始めたらまさかの展開で呆然としたまま読み終わった。

『滅ぼす』は上下巻。
舞台は今から3年後の近未来のフランス。謎のサイバーテロから物語は幕を開け、高級官僚ポールを主人公に、大統領選でうごめく政治的思惑、カルト宗教や過激思想団体、高齢者介護、安楽死まで先進国が抱えるソーシャルイシューが次々と繰り広げられて「これはウェルベック史上最大の社会派サスペンスなのか…?」とハラハラさせる。

上巻までは。
しかし下巻の中盤あたりから突然広げまくった風呂敷は収束し、主人公ポールとその妻プリュダンス夫婦の魂の平穏を求める異様に静かな神学的とすらいえる救済の物語へと着地していく。

最後のセンテンスのこの寂しさ、静けさ、切なさ。
いつものウェルベックの底意地の悪さはどこへ行ってしまったんだ?

あまりにも唐突な展開すぎるので、これはおそらく当初練られたプロットではない(と僕は断言する)。
上巻までは「よーし、内容特濃ドロドロサスペンスで行っちゃうぞ〜」と書き進めていくうちに、主人公がウェルベックに突如語りかける瞬間があったのだろう。「ここから先は、俺の魂の物語を語らせてくれ」と。

ここで作者は自分のプロットを描き切ることを逡巡し、主人公ポールの声に耳を傾けることに決めたのだろう。
その結果、『滅ぼす』の下巻は、上巻までの内容、つまりウェルベックの思い描いた小説世界を「滅ぼす」ことになった。

上巻の「滅ぼす」は、社会の激動がフランスはじめ西洋社会を消滅させていく騒がしい物語に見えた。
しかし下巻の「滅ぼす」は、宗教も社会正義の規範も失ったブルジョワの中年男性が病とともに消え去っていく静かな滅びに変わった。

そしてウェルベックという「熟練の小説家」もまた成熟を過ぎて、自分自身の物語によって滅ぼされることになった。読み終えた後に残ったのは「真っ白な何もない空間」のイメージで、そこには無が永遠に続く恐怖があった。

緻密なプロットと伏線回収に彩られた物語と、自分の描いた世界に裏切られて虚無へと飲み込まれていく物語。
僕は前者の「納得」よりも後者の「稀有」を尊びたいと思う。

注:なおアラフォー、アラフィフの男子は絶対にこの本(特に下巻)を読んではいけない。下手したら数日間社会生活が送れなくなる可能性あるヨ

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