自由競争クラッシャーのユートピア。経済活動の2つの型。
昨日は美穂ママの家で晩餐会。3年前パリでしこたま飲んで「またやろうね」と交わした約束をようやく果たすことができたぜ。
有機食材の宅配会社勤務の娘を持つ美穂ママは、TPPの行く先について憂慮している。日本の生産者はどうなるのだろうかというトピックスで盛り上がるうちに、ふと最近考えていた「経済活動の型」についてまとまった仮説が浮かんできたのでメモしておきます(ちなみにTPPを掘り下げるとかではないです。僕専門家じゃないしね)。
経済活動の2つの型
「お金と商品・サービスを交換する」という活動を経済活動と定義するならば、そこには2つの型がある。
一つは、手に入れる側がそれぞれの嗜好や予算にあわせて自由にモノやサービスを選択する型。
もう一つは、供給側が決定したものを、手に入れる側が強制的に選択させられる型。
前者の典型はデパートや、スーパーマーケットであり、後者は税金だ。
日本の社会に生きていると、前者が経済活動のメインであり、後者はなるべく最小限にしたい「コスト」だ。「お店には自分の欲しいと思うものがたくさん並んでいて」、「欲しいものは何ですか?とニコニコ接客してくれる店員さんがいる」というのが僕が享受してきた「当たり前」だ。
しかし、世の中には当然他の型もある。社会体制によっては、商品の種類も価格も数えるほどしかなくて、レジに行ったら無愛想な店員にお釣りを投げつけられる、というような世界もある。こういう社会は、大半の経済活動が税金のような仕組みで成り立っているのであろう。
つまり、手に入れる側ではなく、供給する側に主導権がある経済の型もまた存在しているということだ。
モデルチェンジの兆候?
NHKの受信料をテレビの有無に関わらず強制徴収とする、というトピックスを見かけるが、これはテレビ番組を見るというサービスが「税金化する」ということを指す。
「見たいから見る」というテレビ視聴が、「見ないとダメだぞ」ということになるわけだ。
この仕組みが本当に実現するかどうかは置いておくとして。
ヒラクが最近感じているのは、「日本社会は経済のモデルチェンジをしたがっているのではないか」という兆候なのですよ。とりわけ日本の国策を担う機関に「供給する側に主導権がある経済にしたいぞ」という傾向が現れているのではないかと。
もうちょい考察してみよう。
手に入れる側=ユーザーが主導権を持っている社会においては、基本ルールが「自由競争」になる。商品やサービスの供給側は、それが企業であれ自治体であれユーザーに振り向いてもらえるように努力をし、愛想をふりまく必要がある。
実はここで欠落するものがある。それは「権威」であるよ。行政も資本家もユーザーを満足させるためにへりくだる必要があるからだ。
なんとなく僕がざわざわしている懸念とは、統治機構なり大資本が「なんでそんなにユーザーに媚びなきゃいかんねん。なんか腹立つわ」と考え始めているのではないか、ということだ。
まあでもその考えもわからなくもない。
「自分の決めたようにユーザーがお金を払わなければいけない」という状況は、供給側にとっては「最高にラク」だし「権威を示す」ことの証となるからだ。
そりゃあ誰だって、みんな自分の言うこと聞いてえばってられれば良いよね(←わっ、ジャイアンだ!)。
自由競争ルールを担保する規制とは
ちなみに自由競争ルールにも「規制」はある。独占禁止法が典型で、これは「勝者総取りを許すと、自由競争がなくなる」という発想だ。
では「関税」は何のために存在しているかというと「国内市場の保護」だ。つまり特定のプレイヤーに「えこひいき」をしていることになる。自由競争ルールにおいてはこれは反則ではないか?という考えはいっけん正論に思えるが、果たしてそうだろうか。
日本よりも東南アジアや中南米の農作物の値段が安いのは、日本の貨幣価値が(相対的に)高いからで、これは100%プレイヤーの責任とは言えない(企業努力では限界がある)。つまり「前提がフェアじゃない」ということになり、これもまた自由競争の妨げとなる。
関税はいっけん「えこひいき」に見えても「競争のスタートライン地点をリセットする」という機能がある(まあ使いかたにもよるだろうけど)。
それでだな。「関税は自由競争のためである」と前提する。
すると、関税を撤廃するということは「自由競争を機能させなくする」ということになる。極端な話だが、一個10円のトマト、10kg100円のお米が流通することで国内の農業生産が壊滅したとする。その後日本円の為替相場が激変し、「明日から円の価値が1/100になります」ということになったら、1個1,000円のトマト、10kg10,000円のお米しか選択肢がないことになる。これはマクロ経済の話なので、プレイヤーの努力の話では全然ない。自由競争ルールが崩壊した状態、独占禁止法が禁止している状態そのものだ。
(おお…今日の話は難しいなあ。)
官僚ヒラクが夢見る非自由経済のユートピア
ここまで読み進めてきた奇特な皆さまに残念なお知らせがあります。
ここからが本題です(ガーン!!)
NHK受信料金の義務化、関税の撤廃は「自由競争ルール」に対するアンチテーゼであると僕は思うわけよ。統治機構や経済界が「供給側に有利なモデル」を目指しているという前提に立つと腑に落ちることが色々ある。
もし僕が「自由競争クラッシャー」としての官僚であるならば、何をやるか。
新しいサービスや商品を売り買いするお金の流れを減らし、非生産的なことに費やすお金の流れを増やす。例えば「消費税の払い戻しぶんを精算する一社独占の特殊なレジを開発し、全国の小売店に設置させる」というような施策を実施する。これにより小売流通業の現場を混乱させ、競争力を低下させる(←まさかこんな悪魔的なことを考えつくのは僕以外にいないと思うが)。
その他にも、公務員や議員の給料をめちゃくちゃ上げたり、「◯◯の未来を考える有識者の会」みたいなふんわりした催しに巨額の予算を突っ込んだりする。ひたすら「管理コストの増大」と「細かすぎるルールをつくる手間」と「損しかしない資産運用」に投資しまくることによって、国内にはびこる「自由競争経済」に従事するプレイヤーを摩耗させ、「企業努力なんてするだけ無駄」という価値観を叩き込む。
(意味のない公共事業は、策定者の無能力の結果ではない。それは戦略的に「無意味」なのだ)
次のステップ。製造業大手に「もうアラサー女子の顔色伺って10色展開のデザイン家電なんて作らなくていいっすよ。かわりにウチが戦闘機とかミサイルとか発注するんで」と持ちかける。軍需産業はアラサー女子の「グロスピンクの戦闘機がカワイイと思う」という要望は聞かなくていいからだ。しかも、自由競争経済の生産性の目減りを一気にカバーすることができる(何兆円規模とかだし)。
代わりに今まで自由競争のルールでやっていた食料・生活品や各種サービスは国有の巨大イオンみたいなのに一元化し「自社PB(プライベートブランド)のなかのラインナップからどうぞご自由にお選びください」みたいにする。
その結果どんな世界があらわれるのか。
同じ商品が山のように陳列された巨大なイオンモールで買い物をし、駅の切符売り場で窓口スタッフに怒鳴り飛ばされ、同じブランドの同じ服を着てうつむきながら街を歩く人々の上空を、白銀のステルス戦闘機が旋回していくような光景であるよ。
それを自由競争クラッシャーである僕は満足気に見つめていることだろう。
「ざまあみろ」と(←我ながら性格悪いぜ)。
しかし実際のところ、僕は官僚ではなくデザイナーなので、このような社会は非常に困る。「受信料はもう払いましたか?」というポスターの制作しか発注が無さそうだし。