東京は生き方のセレクトショップだ。

週末は、家族に新年の挨拶もかねて東京・稲城の実家へ。

で。ふと思い立って「東京に住んでいた時のこと」をやってみようと思った。
吉祥寺行って髪切って、知り合いのお店で冬物のセーター買って、行きつけの古本屋の本棚を眺めて、井の頭公園駅近くのカフェで買った古本読みながらお茶飲む。

学校が近かったこともあって、高校の頃から足繁く通った吉祥寺は、お店こそコロコロ変わるけど、街の印象はそんなに変わらない。公園があって、東急の大きなデパートがあって、ゴミゴミしたハモニカ横丁があって、若い子は公園通りに集まって、趣味人っぽいおじさんおばさんがハモニカ横丁とかいせやで明るいうちから飲んでで、東急の裏はちょっと東横線沿いっぽい。僕も高校生の頃は井の頭公園で遊んで、20代の頃は東急の裏で買い物してた(趣味人になる前に引っ越してしまったけど)。

で、その後は前に住んでいた家の近くの銭湯に行って、当時週一で通っていた居酒屋さんに飲みに。居酒屋の大将と久々に世間話しながら「あらためて東京時代は気楽で楽しかったなあ」と懐かしくなったぜ。

中目黒とか高円寺のあたりに住むと、誘惑が多すぎて生活が崩壊しそうだけど、吉祥寺〜三鷹のあたりは適度にお店もありつつ基本的に住宅街で、昔ながらの銭湯や喫茶店なんかも残っていて暮らしやすかった。仕事終わったら、井の頭公園脇の行きつけのバーに行ってワイン飲みながら常連さんと世間話して、楽しかったなあ。

今思えば。
東京に住んで仕事するのは「これといった自分の進むべき道は見つかってないけど、何か自分にしかできないことをやりたい」ともがいていていた自分にとって本当に良かった。
行きつけのカフェや飲み屋さんに通っているだけで、あるいは街を散歩しているだけで色んな情報や生き方に触れることができる。

東京は生き方のセレクトショップだ。

他の場所にも面白い場所、面白い生き方はいっぱいある。けれどなかなか受け身ではその存在をキャッチできない。自分で能動的に動いて面白いコミュニティにアクセスしなければいけないし、一度コミュニティに入ると面倒なことももちろんある。

東京のコミュニティは暮らしや土地と乖離している。
業界単位、お店単位、サークル単位でゆるく集まって、名字も出身も知らないまま、趣味や共感でなんとなくつながっている。薄っぺらいとも言えるが、押し付けがましくないとも言える。

振り返ってみると、東京時代の僕はいくつものコミュニティになんとなーく出入りして、色んなことをそれとなく見聞きして、でも責任はコミットメントは求められない。そんな気楽な立場に会ったのだと思う。

東京は、人もモノも情報も集まっているから、そういう無責任なフリーライダーを許容するし、そのなかからまた新しい価値や業界をつくる人が出て、それをまた東京に還元する。
そういう仕組みで動いている。

東京に住んでいるなら、いっぱい街に出て、いっぱい異質な人に出会うといいと思う。地方に行って自分なりの仕事のスタイルを確率すると、ノイズが少ないぶん文脈外の出会いは減る。
コミュニティとの関わり方も、それなりに長いスパンで考えることになる。

「自分のやるべきことがわからなくて試行錯誤する」という時期は、長い目で見るとぜんぜん無駄ではなくて、むしろ人生の宝物になる。自分に確たる信念や肩書きがないからこそ、どんな人とでもフラットに「はじめまして」ができる。たまにヘンな人にぶつかったりするが、それも含めて全部楽しい。

外に出てみると改めて、東京は面白い場所だと気づく。