仕事において「弱さ」とどのように向き合うか。
ヒラクくん、ブログなんて更新してないでおとなしく寝なきゃダメですよ。もみもみ。
ヒラクです。こんばんはー。
今週も、夜に人に会ったり、自由大学で授業やったり忘年会的なイベントがあったりで外に出ております。
先週死にそうだった風邪も、ほぼ治って楽しく過ごしてはいるのですが。
ですが、身体の奥で微妙に風邪がくすぶり続け、数日続けて外にいると
「休みなよ〜家でお風呂入って伊丹十三のエッセイでも読みなよ〜」と内なるヒラクが囁くのであるよ。
やあ困ったなあ。僕やっぱり身体弱いんだなあ。
起業無双状態を維持できない場合はどうするか。
立派な経営者の創業時代のストーリーに必ず出てくる、
「不眠不休で働きまくり遊びまくり」の起業無双状態←これ、僕ムリ。
いや、実は27歳くらいまで徹夜仕事もOKだったし終電まで飲み歩くのもOKだったんですけど、
そこを境に突然無双状態をキープできなくなった。
起業した時って、まだよちよちの会社を成長させるために、
マチルダを守るレオンみたいに無限の体力と集中力が湧いて出てくる。
その感覚はわからんでもない。でもね、僕ジャン・レノみたいなガタイじゃないし、
タクシードライバーの、肉体改造してモヒカンになる前のロバート・デニーロよりも貧弱だからね。
タフネスを欠いた経営者は、どうしたら良いのだろうか(「タフになりたまえ」という無慈悲な答えはナシね)。
もちろん、食事とか生活習慣とか運動とか気をつけるけど、でもやっぱり限界があるわけですよ。
当たり前だけど、程度の差はあれ僕たちは「身体」という限界がある。
病気になったり、好不調の波があったり「精神論」ではコントロールできない「弱さ」がある。
それを「克服しよう」、「弱みが見えないようにしよう」というのがビジネス的には正論なのかもしれない。
「克服型」のモデルはもうすぐフィットしなくなるかも。
とはいえね。
ヒラクがここ数年地域社会に入ったり、都会のサービス業とか情報産業じゃない産業に関わったりしたなかでわかったことがあります。
東京や大阪のごく一部を除いて、大きな変化が起こっているということを。
それは、「キミの変わりはいくらでもいるんだよ」という事が言える世界が
縮小の一途を辿っているということです。
生産人口が高止まりで安定している場合のコミュニケーションって、年上だったり肩書が上の人が、立場が下の人を「選別」する。で、「これとこれが達成できなきゃ替えを呼んでくるからなコラ」ということになる(バブル前後〜就職氷河期までのモデル)。
でもそのスキームは崩壊しかかっている。
経済状況も生産人口も高止まりからガンガンに右下がりになる
(90年代後半から今まで、20代の人口は3割ちかく減ったし、これからもっと減る)。
つまり、不況なのに人手も足りないという状況になる。
こうなるとどうなるかというと2つありまして。
・労働が機械化されて、そもそも働く人が必要なくなる。
・そこにいる働けそうなヤツの力をなんとかして引き出す。
経済誌とかで前者が大きく取り上げられているけど、実はこの流れって、ほとんどの中小企業はその恩恵に預かれない
(同じ商品をたくさん生産しないと設備投資ぶんをペイできないし、投資のお金を銀行から借りるのも難しい)。
だからどうするかっていうと、人の機転と工夫をいかして小ロットで利益が出せるもので勝負しましょうということなる。
ほら、だから人が大事になるんですよ。
というわけで、日本の企業の大半を占める小さな産業の世界では、以前よりも
「働く人ひとりひとりのやる気とか工夫」の重要度が上がっている
(そして、大きな産業の世界では働く人が消えていく)。
でもね。
人が大事なんだけど、優秀そうな人が周りゴロゴロ転がっているかというと、アヤしいでしょ。
大手上場企業とか、IT関係の「強気でも儲かる」業界には転がってるかもだけど、まあレアだよね。
フルタイムで仕事に全力投球できる頑強で結婚も出産もしない働きマンが希少種であることが
判明したらば、当然その条件を全部満たさない人に目をつけるよね。
フルタイムじゃなければ全力投球できるとか、頑強じゃないないけどやる気はあるぞとか、
結婚も出産も仕事も頑張っていきたい!みたいな人ね。
「弱さ」を見越してビジネスモデルを設計したい。
では話を戻して。
完全無欠働きマン(というのが存在したと仮定して)が大量生産&安定供給されない世界では、
「弱さ克服型」の働きかたはムリでないかと。
どちらかというと「弱さ肯定型」みたいなのが一周回って合理的でないかとヒラクは思うのです
(そもそも僕自身がドロップアウトのキャリアだしね)。
例えいま、精神的にも肉体的にも丈夫だったしても。
明日はそうじゃないかもしれない(←と、20代半ばのヒラクくんに言いたい)。
心に癒えない傷ができることもあるし、当たり前とされているものに耐えられない時もある。
家族のことに集中したい時期もある。
それを「けしからん」と言ってしまったら、いったい後には誰が残るのだろう?
例え残る人がいたとして、その人はずっとその状態を維持できるのだろうか?
…と考えると、そういうことはそもそも「あるよね」ということにして、
「ではどうできるか?」をオープンに話せる場所を作るほうが合理的に思える。
常に全力投球でなくても利益が出せる、健全なビジネスモデル。
そいつは、人間の「弱さ」を事前に織り込む設計だと思うのよね。
さて。深夜まで仕事&自転車操業になりがちなクリエイティブ業(しかもベンチャー)でそれができるか。
答えは……YES。
(と言えるように精進するぞー!)