マッチョでも虚弱でも、身体は時代の「おはなし」に左右される。
なかなかハードなGWだったぜ。
4月の終わりぐらいから微熱と咳に苦しんでいたら、ちょうどGWの入り口に喘息が発動。咳のし過ぎで夜眠れず、明け方に力尽きるという繰り返しで体力を消耗し、そのまま発熱。楽しみにしていた宮城のアラバキロックフェスも東北ツアーも全キャンセル(涙)。
で、ようやく後半に喘息が落ち着いて、法事で新潟に行ったところで今度は突然眼球が激しく痛みだして昏倒。「こここ…これはくも膜下出血系のヤバいヤツか?」と病院に駆けこんだら「過労だね」と言われました。
やっぱりそうか〜。
「山に篭もります」宣言もむなしく、なんだかんだで全国あちこちで用事があったからな。しかも去年と違うのは、研究のハードワークも課していたので家に帰ってもずーっと勉強して気が休まらなかった。
以前にも何度もブログで書いているけど、人には「ハードワークするほど元気になる無双タイプ」と「宿命的に身体が弱い虚弱タイプ」があり、僕は典型的に後者だ。起業した時の「火事場の馬鹿力」みたいなのもほとんど無く、一貫してのらりくらり休みながら働くタイプだった(そしてこれからもそうでありたい)。
「夜遅くまで仕事して、そこから合コンして朝までクラブで遊んで仮眠したからまた会社行く。酒もタバコもギャンブルも全部手を抜かないのでそこんとこよろしく!」
みたいな無双の漢はもはや一つの神話だ(←六本木とかにまだまだ現役がいそうだが)。
人間の身体は、その時代に伏流する「おはなし」に左右される。「いくらでも稼げる」という景気のいい時代には「いくらでも働ける」という景気のいい身体になる。
「市場にもリソースにも限界がある」というシュリンク傾向の時代は「ほどほどで足るを知りましょう」というぼちぼちな身体になる。
自分のワークスタイルや生活習慣は、自分をとりまく環境でどのように生きていくかを宣言した「表現」だ。
もし僕が80年代後半とかに証券会社の敏腕ビジネスマンだったり起業家だったりしたら、たぶん夜通し腰抜けるほどお金を使い倒して、50になる前にあらかた内蔵をクラッシュさせてみのもんたもビックリな顔色で再起不能になると思う。それはそれで「時代の物語の演者として生ききる」という意味ではそんなに悪くない生き方なのだと思われる。
そういう意味では、僕のこの「のらりくらりやる虚弱」スタイルもまた「過度な成長を求めない」という時代の物語にシンクロした「ファッション」なのだと言える。
そう、僕は今いちばんイケてるワークスタイルを選択したおしゃくそ野郎なのだよ。
【追記1】ちなみに発酵デザイナーなので、食習慣はけっこうマトモな部類だと思うなのだけど、いくらヘルシーなものを食べていても、過労のストレスの軽減はできない。そして僕のメンタルは超弱い。
【追記2】脳みそ及び神経系は特に異常なしということでした。よかった…