お気楽に生きるという処世術。

昨日は、このブログでは仲良しの『北欧、暮らしの道具店』を運営するクラシコムの青木さんとの対談記事の取材でした。

・知的基礎体力。ものごとを続けるために必要な力。

お題は「発酵デザイナーの肩書の裏にある生存戦略とは何か?」という割とビジネス寄りのトピックス。要は「ヒラク君って割と自由人として見られてるけど、裏側では色々計算してるよね?」ということなんだけどさ。

色んな媒体に取材してもらう中で、実はけっこう「僕はこうやってお金を稼いでいます」とか「こうやってマーケットをフォーカスしてます」というような「シゴトの裏幕」の話をしているのだけど、いくら話しても全然記事に反映されない。「自分らしい仕事がしたくて〜」とか「好きなことを仕事にするのが一番ですよね」的な切り取られ方になってしまう。

まあ、間違いじゃないけど。もちろん裏側には作戦があるよね。

僕は基本的に作為的な人間なので「マイペースに生きてます〜!」というスタンスは全部ブラフ(はったり)だ。その裏には緻密かつ狡猾な戦略があるわけだ。
何のための戦略かというと、

・長いスパンで
・自分の好きなことを
・疲れない感じで楽しむこと

だ(←結局「マイペースに生きてます〜!」なのだが)。

この時に有効な方法論が「お気楽にぼちぼちやってますよ」というセルフブランディングだ。間違っても「頑張ってこの夢を叶えました!」とか「圧倒的な努力でここに登りつめました!」とか言ってはいけない。
そんなことをしたら周囲から「えっ、発酵デザイナーって夢見るほどステキな仕事なの?」「圧倒的に努力して登りつめるほど価値があるの?」と見破られてしまうからだ。するとその既得権を奪取するために後続が必死の努力で既存のシェアを奪いにくる。泥沼だ。だから「まあ趣味なんで…」とニコニコしておくのが正解なんすよ。
「ワタシもあの人みたいになりたい!」と万が一思われたら黄信号。「まあ珍獣だから見なかったことにしとこう」と放ったらかしにされている状態が理想。

凡才の処世術は「競争が起きないように工夫する」ということだ。

「フリースタイルダンジョン」の熱狂を見ればわかる通り、争いは人を惹きつける魅力がある。「争いに参加する」「よしんば争いに勝つ」「勝ち名乗りをあげる」という行為は、世間のインタレストを惹きつける。

SNSのタイムラインに自撮り写真とともに「ついに夢を叶えて、自分の好きなことで年収◯千万円!」と宣言するのは「自分探し市場」において「勝ち名乗り」を上げるという行為だ。
衆目からの羨望、嫉妬、憎悪などの感情が流れ込み、そのエネルギーの総量がチャージされることにより、市場においてより有利な立場を確保される…というポジティブ・スパイラルがかかることになる。

これは確かに合理的な戦略に見えるが、しかしこのスパイラルを狙えるのは「勝ち続けられる自信があるひと」に限られる。あるいは「他人のエネルギーを自分にチャージするしか自分の人生を前に進める方法を知らないひと」だ。どちらにしろ、大変に好戦的なマインドだ。見た目がどれだけゆるふわであっても、その人を駆動しているのは「闘争心」だ。

話をちょっと前に戻すとだな。
「自分は夢を叶えました!」と宣言するということは、つまりドーベルマンみたいに闘争心溢れる猛者がひしめきあう「自分探し市場」の土俵に乗るということで、闘争心に欠けるうえに筋力も胆力も強運も持ち合わせないヒラクは瞬殺で血の海に沈むことになる。絶対に勝てない勝負であり、「絶対に勝てないとか誰が決めた?そんな弱い自分を克服するために筋トレしてこい」と説教かまされること必至なので、そもそも土俵に乗ってはいけない。

人生を前に進めるエネルギーは、自分自身から湧いてくるものだ。
他人に承認してもらう前に、自分で自分を認められるのが幸せだ。自分の人生の価値は、自分で決めるもんだ(当たり前すぎてわざわざ言うまでもないけど)。

その前提に立てば、競争は必須ではない(不要とも言い切らないけどね)。
僕にとって大事なのは、のんびりお風呂に入ったり、本を読んだり、野山に菌を採取しにいったり、友だちと楽しくご飯を食べることだ。そんな「人生の成功基準がイージーすぎ野郎」は不特定多数の人たちがしのぎを削るリングを避けて、競争が必要ないニッチでのんびり生きていくのが性に合っている。

それは別に「今のままでいい」ということではなくて、もちろん自分の仕事をまっとうすることで自分の知見や世界に対する認識を深めて進化していきたいという気持ちもある。その過程でナイスな出会いや新たなチャンスも得られればいいなと思っている。だけどそれは「自分の認識がついていける適切な速度」が望ましい。自分の認識を超えるスピードで出会いやチャンスが増え、自分の限界を超える外からのエネルギーが流れ込むと、人生で最悪の病気にかかることになる。

それは「全能感」という、人生を決定的に狂わせる病症なのであるよ。