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新しいデザインの美意識の話をしよう。リビセンの本を読んで考えたこと

諏訪のリビセンから本が届いた。
東野唯史・華南子夫妻はじめリビセンチームが手づくりでつくった”ReBuild New Culture”がとっても良い本だったので考えたことをまとめておくぜ。

課題先行ではなく、文化先行

「Rebuild New Culture(新しい文化をつくりなおす)」というタイトルがまず彼ららしいし、僕たちの世代の価値観を端的に現しているいいキャッチコピーだよね。
本来、”Re”と”New”って矛盾してるわけじゃん。だから「新しい文化をつくる」か「あるべき文化をつくりなおす」のどちらかが正しい、のだけどリビセンの活動を見ているとまさに「新しいもの」を「つくりなおす」ことで生み出そうとしている感じがある。

「ピカピカの新品がいい」「全てプロのメーカーが用意した高品質なレディメイドがいい」という価値観自体が新しい世代(特にローカルに住むヤツら)にとって「古くて色あせて見えるもの」だ。「もうすでにあるもの」に「自分たちの手で新たな価値を加えていくこと」にワクワクする。そんな価値観を「新しい」と思う。だから「新しい文化をつくりなおす」だし、なんなら「つくりなおすことで生まれる新しい文化」と解釈してもいい。

リビセン(REBUILDING CENTER JAPAN)を知らない人に軽く説明しておくと、解体される建物から回収した建材を売るリサイクルショップで、そこにデザインコンサルや施工サービスが付随している。自分でDIYできるお客さんは建材だけ買って自分でアレンジすればいいし、工務店のように施工サービスを頼むことができる。だけどサービスを頼むとしても完全お任せではなく、施主自身もDIYすることが前提になる。

つまり古材リサイクル+DIYのナイスなホームセンターだ。オーナー夫妻がデザイナーだからそこに素敵なデザインもある。

設立経緯を読んでみると、リビセンがつくられる背景には地方における空き家問題と技術継承という「社会課題」があるわけなのだけど、課題を解決するためにつくった事業なのかというと僕はそうではないと思う。

課題先行ではなく、文化先行。
「こういう美意識の、こういう文化をつくりたい。なんならそれをたくさんの人とシェアしたい」というクリエイティビティや好奇心がまずあって、そこに課題解決がくっついている。

エゴイスティックなデザインからの離脱

僕がこの本を読んで、東野夫妻の言葉から考えたのは「新しいデザインの美意識」のこと。特に後半のR不動産の馬場さんの対談に示唆的な言葉がいっぱいある。ちょっと引用してみると

馬場「リビセンの空間って何かを寄せ付けない感じではなくて、いい感じの隙みたいなものがあるんだけど、きっとプロじゃない人達が関わっていることによる色々な隙が、知らず知らずのうちに安心感や心地のよさみたいなものをつくっているんだろうね」

東野「デザイナーが入りすぎると面白くなくなるってことをある時から思うようになってきたんです」

華南子「これでいいんだ、これなら自分にもつくれるかもって思える隙があるのはリビセンとしていいなって思ってるんです。私は文学部卒で建築も全く勉強したことなかったし、ものが何からつくられてるって考えたこともなかったんです。極端なことを言えば、肉じゃがは肉じゃがだし、机は机、それ以上わからない。(中略)でも私が、東野さんと一緒になったら、どうやら世の中はもっと因数分解して見ることができるぞって気がついた。(中略)もし東野さんが神経質で『華南子それじゃダメだ。俺がやる!』みたいな感じだったら『つくるのマジつまなんない』みたいな感じになってたと思うけど、そうじゃなかったから楽しめた」

「わかる、めっちゃわかる〜!」と思う人、多いんじゃないでしょうか。
このやりとりって「デザインに対する意識の変容」なんですね。この本のボキャブラリーで言えば、「構築的」なものより「工作的」なもの。「作品のデザイン」ではなく「状況のデザイン」。デザイナーのエゴからデザインがふわっと離れていって、社会を改善するツールになる。

この「状況をつくりだす、ツールとしてのデザイン」という美意識に、古材リサイクル+DIYというリビセンの方法論がバッチリはまっている。課題が美意識を生み出したのか、美意識が課題を解決しているのか、「卵が先か鶏が先か?」的な状況だが、とにかく時代の追い風がめっちゃ吹いている。

(いちおう)僕もデザイナーなので、なぜこのような意識の変容が起こったのか考えてみるとだな。まず「デザインというものがあるていどまで浸透した」という時代背景があるだろう。30年前よりも圧倒的にデザインが身近なものになり、デザイナーという仕事も市民権を得て、デザインされた雑貨やインテリア用品のセレクトショップも増えた。ちょっとしたイベントのチラシも地方の物産品にもこなれたデザインが施されている。

つまり20代〜30代のデザインリテラシーは30年前よりも相対的に高まっている(たぶん)。すると「作品としてのデザイン」をそれほど必要としなくなってくる。つまりデザインを「崇めて鑑賞するフェーズ」から「自分なりの使いこなすフェーズ」に移行する。

もし「鑑賞する」なら教科書的に完成度の高いデザインがいいのだが、「使いこなす」なら余白が多いほうがいい。なんなら完成品よりも半完成品のほうが応用が利く。手に馴染むもの、ふだんの生活感覚にあったものがいい。理想に近づけるデザインよりも、現状をより良くするデザインがいい。そのためのツールとアイデアとネットワークが欲しい。

リビセンの言う「新しい文化」とはツールとアイデアとネットワークからなる「コミュニティ」のことなのであるよ。

東野夫妻、素敵な本ありがとう。近々遊びに行きまーす。

【追記】ワタシもこの本読みたい!という方はこちらからどうぞ。

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