はんなり、反骨。Re:S藤本智土さんの編集術に宿る関西のDNA
先週末は関西で二日間、編集者の藤本智士さんとずっと一緒でした。
去年、諏訪のイベントでご一緒してからすっかり仲良しになって、神戸や秋田で楽しく日本酒を酌み交わす仲になったわけですが。
藤本さん、知れば知るほどほんと独特、でカッコいい。
『芸能』を受け継ぐ日のDNA
東京育ちの僕が、関西の文化を知ったのは25歳過ぎてデザイナーとして独立した頃のこと。
仕事や旅を通して、放浪の旅芸人アサダワタル君や音楽ユニットたゆたう、味噌ラーメン専門店みつか坊主の店主斉藤さんたちに出会って「おお、関西の人ってやっぱ違うなあ」と感動したことがきっかけ。
東の人と何が違うかって、「人との距離の縮め方」のテクニックが全然違うし、とにかくマイペース。おためごかしはせずに、でも別にベタベタしない。
話し始めたとたんにスッと懐(ふところ)に入ってくるけど、強引な感じが全然しない。東の人がコミュニケーションをショートカットしようとすると、どうしてもゴツゴツと無骨になってしまうが、西の人にははんなりDNAが埋め込まれているようだ。
で。
藤本さんもやっぱり「芸能者の系譜」が流れていたわけで。トークイベントでの立ちふるまいも飲みの席の所作もいちいち玄人っぽい。てか僕が「玄人っぽい」と形容しているだけで、本人はごく自然なわけだから、これはピエール・ブルデュー言うところの「文化資本」が成せる業(わざ)。コミュニケーションの洗練については西の人に一日(いちじつ)の長がある。
さて僕が「芸能者の系譜」と言う意味は何かというとだな。
「編集」というと、東京では出版やWEB上のコンテンツの編集を指すが、藤本さんの射程には常にテレビやラジオ、舞台やお笑いなど「広義の芸能」が含まれている。
もっといえば「構成作家という名の編集者」。
とにかく人を楽しませること、粋を尽くすことの実践者としての意識がとても強い(とか断言してるけど違ったらごめんなさい)。
記号を「借りる」のではなく「つくる」
漫画『ちはやふる』の若宮クイーンを見ればわかるように、「はんなり」の仮面の下には「反骨」が眠っているのであるよ。
藤本さんのキャリアは、丁寧な暮らしブームに先駆けて日本各地のローカル文化を取り上げた雑誌『Re:S』や、象印マホービンの『マイボトル』という概念のデザイン、秋田のPR誌『のんびり』のプロデュースなど幅広いが、一貫しているのは既存の記号に頼らないこと。
いわゆるマスメディアの常套手段は「すでに人口に膾炙(かいしゃ)している記号・ムーブメント」を乗ってメッセージを伝えることだが、藤本さんは「まだ名付けられていない記号未満のもの」を見出してそこに価値付け=編集を施す。
「ラクしてうまいことやる」ことに対してのアンチであり、端的に言えば文化の目利きだ。
・世の中には二通りの人間がいる。「一流」を見つける者と待ち続ける者だ
この「既存の記号に乗っからない」というスタンスから、僕は「芸能のルーツ」を見る。
例えば東京の人にとっての「芸能界」は、地上波のバラエティやCMのなかの「セレブ」だが、起源をさかのぼれば、そこは「一般社会の土俵にのぼれないカブキ者」の世界だった。
そのルーツが、関西の中島らもや、やしきたかじんを生んだ(たぶん)。
東では芸能者というと「自身が記号に同化するアイドル」ということになるが、西では「社会が見過ごした事象を記号化する編集者」という側面が強いのであるよ(←勝手な憶測だけど)。
藤本さんのはんなりした所作の底に眠る「他人が面白い言うてる事なんか、絶対乗らへんからな」というクリエイティビティの質と一貫性は、昨今の半可な自称編集者達が束になっても敵わない強度を持っている。
ということで、僕のこれからの展望は西のナイスな編集・芸能者たちと仲良くすることなのであるよ。藤本さん、またおいしい日本酒飲みにいきましょう。
【追記】ちなみに藤本さんが書いてくれた僕についての記事はこちら。恐縮です(>_<)
▶発酵デザイナー 小倉ヒラク|藤本智士(Re:S)|note