微生物を見ていると、「コンテンツ」は生命の本体であることに気づく。
昨日Greenzのイベントで編集長のナオさんと話したことをブログに記しておきます。
大腸菌という、微生物学において重要な微生物がいる。
コイツは非常にシンプルな構造をしている菌で「生物の基本原理」を解き明かすために頻繁に実験に使われる(ラットみたいな存在だと思ってもらえるといいかも)。
さてその大腸菌。ざっくり言うと、DNAの周りを最低限のタンパク質のプールが取り囲み、それを細胞膜で外界と区切っている、という構造になっている。
つまり、DNAのコンテナ。
細胞がコンテナであり、そのコンテンツはDNAなのであるよ。
ではDNAとは何なのだろうか。百万分の1ミリのなかに、文学全集何十冊ぶんかの情報が編まれているもの。つまり情報であり、もっと言えば、僕が僕であり、大腸菌が大腸菌であるという「おはなし」なのだね。
バーチャルな情報ではなく、実体をもって構成されていると思われている生命を最小分解してみると、その本体はなんと情報なのだ。
(大腸菌の構造の細胞をいっぱい集めると、人間ができる)
そんでもって、今度はメディア的な視点。
そこらへんにただ情報が散らばっているだけではメディア・コンテンツにはならない。ある主観的な意思によって情報の断片が編集され、「おはなし」に仕立てられることでコンテンツになる。
これは、(A)アデニン、(T)チミン、(G) グアニン、(C)シトシンの4つの情報の断片を組み合わせてDNAというコンテンツをつくることの模倣と言える。
そう考えると、僕たちがコンテンツをつくりだそうとする行為は、「新しい生命をつくる」ということのシミュレーションなのではないか。
「コンテンツ論」というと、どうやって人の興味を換金するのかという話になるけれど、僕は「コンテンツをつくり」「コンテンツを摂取したい」という欲求は、生物における「新たな生命をつくり」「異質な生命と出会いたい」という根源的欲求に準じているように思われる。
飛躍しすぎかしらどうかしら。