「フロー型思考」と「ストック型思考」。波に流されない杭を打ち込む。
うん。ようやくこのモヤモヤが言語化できたんだ、ブラザー。
知識と同じように、思考にも「フロー型」と「ストック型」がある。
「フロー型思考」は「やり方」を語り、「ストック型思考」は「あり方」を語る。
僕がずっと考えてきたのは、「ストック型思考」についてだったんです。
(今回はたいへん抽象的なエントリーですぜ…!)
ブログは「ストック型思考」の場所になりえるか。
このブログをお読みの皆さまがご存知のように、僕は5年間一貫して「やり方」としての情報(お役立ち系とかまとめ系、あるいはライフハッカー的情報)を意図的に避けてきました。
でも、WEB空間では「やり方」を語ることが力を持っていて「僕がやっていることはただの自己満足ではないのだろうか」というモヤモヤがあった(まあ自己満足なんだけど)。
僕がこのブログに記録にしておきたいと思ったのは「やり方」のもっと底のほうにある、なぜそのやり方をしようとするのかという「あり方を考えるプロセス」だったのね。
でも同時に「あり方を考える」という思考自体が、WEB空間において「収まりが悪い」という感覚があって。そういうのを感じながら、5年間続けてみたらば「けっこう状況は変わってきたかも」という実感があります。
WEB空間はまだ黎明期なので「ストック型の思考」を置くことに適していない。だけど、これから変わる。これまでの電子書籍やブログの進化は「フロー型の思考」を紙から電子に移設するフェーズだった(新書やビジネス本的な情報が電子化した)。でも、これからは「ストック型の思考」も電子に移設される。つまりWEB的な哲学が生まれる。
(思いつきですが、これはもしかしてWEBのインターフェイスがPCの「クリック型」からタブレットの「スクロール型」に変わってきたのと連動しているかもしれない。なんというか、スクロールのほうが「掘り下げる感」あるじゃん)
「ライフハッカー」の意義とは「フロー型の思考をストックする」という価値を定義付けたこと。これにより「やり方の専門家」がWEB上でいっぱい生まれ、そのフォロワーである「意識高い系のひと」が量産され、WEBは「そういう感じのエコシステム」になったが、それもまた一つの型でしかない。
僕が5年前にやりたいと思ったのは「ストック型の思考が流通するWEB空間」だったのだけど、ライフハッカーの潮流が成熟したいま、ようやく「次のドア」が開き始めた気がするのです。
山梨の山奥に引っ越して、「ストック型思考」の意味に気づいた
さて。なんで僕はこんな事を書いているのかというとだな。
山梨に引っ越して自分の意識が変わってきたことに気づいたからなんですね。
僕の住んでいる集落って、山と果樹畑と温泉しかない僻地。そういう場所って「ノイズ」が少ないんだよね。外から「これが最新でっせ」とか「これは抑えておいた方がいい」的なシグナルがぜんぜんこない(夜道でぼんやりしていると鹿とぶつかりまっせ、的なシグナルはくるが)。
この「ノイズが少ない状態」って、「ストック型思考」に向いているんですよ。
自分にとって本質的だと思われることを、しつこくずっと考え続けることができる。
ところがね。
たぶん20代半ばの、デザイナーとして独立したばかりの頃だったら「ノイズが少ない環境」というのは逆に不安になっていたと思うんだよね。新しい情報を自動的にキャッチアップできないわけだから「自分は世の流れから取り残されてしまうのではないか」と思ってしまう(特にITやクリエイティブの世界はそう)。
でも今はそういう不安はない。
ていうか「発酵デザイナーになる」と決めた瞬間から、もう僕はトレンドと関係ない山に登り始めたので、自分がやることはただ山頂目指して歩き続けることだけになった。
「ノイズの少ない場所で思考の石を積み上げ続ける」というのが、今の僕にはとても必要なんだな。
「ストック型の思考」は、変化の時代にサバイブするために必要な技術。自分のブレない軸を打ち立てていく思考です。この軸があると、どんな波にも流されないスタンスをつくることができる。
「フロー型の思考」は、「波のおよぎ方」を教えてくれる。対して「ストック型の思考」は、「その波に乗るべきなのか」という問いを投げかける。
人と情報がたくさん流通する場所から少しズレたところで、僕はどんなハードな現実がやってきてもへこたれない「基礎体力」をつける訓練をしているのだと思う。
(このテーマはまた折をみてアップデートするぞ)
【追記】このエントリーは、クラシコムの青木さんからもらった文章から着想を得ました。「定性的アプローチ」という表現を、僕なりに言い換えたものが「ストック型思考」です。青木さん、ありがとうございます。