シンプルなきもち

ある日、

ちらかった部屋に いやけがさして

ガラクタを片付け 紙の山を整理して

のべつまくなし 手垢のついたものを

まとめて部屋の外に運びだした

何もない ホテルの客室のような部屋

真ん中にぽつんとあるテーブルに座り

からっぽの空間を見回して

なぜか 戸惑いを感じた

その部屋には 僕の生きてきた

時間が流れていなかった

きのうの僕がいた跡は なく

明日の僕のいるべき席も なかった

きっと明日になれば 僕は

今日のじぶんが残した

生活のほこりを きれいに掃いて

過去も未来もない

生まれたばかりのような

くったくのない顔で ここに座っているだろう

どうしてそれが不満なのか



部屋をきれいにして

僕は何をしたかったのだろう

こころの中でもつれあった

人間関係や やるべきこと

それも空っぽにしようとしたのだろうか

電話帳を捨て スケジュール帳を捨て

そうしたらこころも楽になって

この部屋でゆったり くつろげるだろうか



一年また一年と齢を重ねるたびに

生きていくための荷物は増えていく

気持ちが弱くなったとき

その荷物を降ろしたい と願う

けれども降ろそうとする その瞬間

今までの自分をなくすことを感じて

踏み切る強さを持てない 僕がいた

けれども 

その強さは ほんとうに必要なのだろうか

シンプルな暮しは目標ではなく

幸せになるための方法 なのだとしたら

背負った荷物は ガラクタ ではない

弱い自分がここまでやってこれたのは

いま手放そうとしている

もつれあった人間関係や

今まで経験してきたこと のおかげなのだから



生きることは ややこしい

だから 

それに傷つくこともある

もしリセットしたとしても

また糸はもつれていくだろう

そうしたら そのたび

糸を丁寧にほぐせばいい

糸を断ち切れない

強い自分でなくてもいい

僕が願っていたのは

そんな自分が前に踏みだせる

すなおな きもち

シンプルな人生ではなく

シンプルなきもち だった

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あきゅらいず美養品の会報誌に載った文章。

とても気に入っているので、ブログに転載しました。

どこかの誰かが感じていることを、掬いとっている文章だといいな。

Published by

小倉 ヒラク

発酵デザイナー。1983年、東京都生まれ。 「見えない発酵菌の働きを、デザインを通して見えるようにする」ことを目指し、全国の醸造家や研究者たちとプロジェクトを展開。下北沢「発酵デパートメント」オーナー。著書に『発酵文化人類学』『日本発酵紀行』など多数。