手は考える。

こんばんは、ヒラクです。

7月からフル回転し、ようやく一段落ついた中休みの最近。

父方の祖父であり、小倉工作室の名前の由来ともなった小倉工作じいちゃんの墓参りをしながら、「自分の仕事のテーマ」とは何ぞやとふと振り返ってみる。

とりとめない考えのなかから真っ先に浮かんできたのが、

「手は考える」という言葉だった。

思うに、人間は脳みそだけでものを考えているわけではない。

本当は、細胞の一つ一つが自発的な意識をもって自分の意識を決定している。

その中でも、僕にとって大事なのは「手」という存在だ。

ペンを走らせながら、何かをさわりながら、工作しながら考えを形づくっていく。

粘度をこねるように、木にやすりやニスをかけるように、すこしづつ思考が具現化されていく。

その感覚が自分の原点になっているのだと日々実感する。

抽象的な理念や、一般論では気持ちが高揚しない。

より具体化された、様々なニュアンスが微妙なバランスで組み合わされた「実体感」を伴わないものでないと信用できない。

フレームではなく、その中に入っている絵が気になって仕方ない。

その感覚が、僕をこの仕事に向かせたのではないか、そんな風に思う。

それは単にデザインや絵を書くだけではない。ことばについても同じ。

一つ一つのことばが互いに絡み合い、概念が立体化していくように、

何かきれいなもの、ドキッとするものを見つけた感情の高まりを喚起できるように、

ことばを磨いて組み合わせて行く。

そんな時、僕は脳みそで思考するのではなく、細胞の感覚一つ一つをフル回転させてイメージを収斂させていく、そんな感覚がある。

脳は抽象的な概念を作り出し、手はその概念をあるイメージに向かって収斂させていく。

白紙のキャンバスを、色とりどりにいろどっていくように、手は世界にイメージを定着させていく。

「感じ」というものを具体的に考えて、形づくるもの、それが手の役割なんじゃないかな。

Published by

小倉 ヒラク

発酵デザイナー。1983年、東京都生まれ。 「見えない発酵菌の働きを、デザインを通して見えるようにする」ことを目指し、全国の醸造家や研究者たちとプロジェクトを展開。下北沢「発酵デパートメント」オーナー。著書に『発酵文化人類学』『日本発酵紀行』など多数。