新年を迎えました。みなさま今年もどうぞよろしくお願いします。
2018年はどのような年になるのであろか。
毎年恒例のブログ書き初め、お暇な時にご一読ください。
変化する自分を信じるのは難しい
2017年の年始のエントリーにこんなことを書いた。
“これから数年間かけて、僕たちは自分たちの住む社会のあちこちが「腐ってダメになっていく」という状況を目にすることになる。「ある日突然カタストロフィが起こる」というドラスティックな流れではなく、ある日周りを見まわしてみると、あっちもこっちもダメになっていた、というかたちで僕たちは危機を迎えることになる。
だから2017年は、後から振り返ったときの「地味だけど大事な分岐点」になる。
大きくなっていく陰の流れに呑み込まれていくのか、自分が小さな陽になるのか。
濁流に負けずに、自分の船を手づくりする。そんな人がこれから10年か20年くらいの新しい世界を切り拓いていく人になるのだと思う”
一年経って振り返ってみると、けっこう的を得たこと言っているぜ、自分。
さて。「変化に向かっての船出」のその次が問題だ。
何かを始めることも難しいが、それを継続させるのもまた難しい。
2018年は「前に進む自分を信じる」ことを問われる年になる。という予感がある。
もう言うまでもないけど、今年はさらに急速にこれまでの社会の規範が崩れ落ちていく年になる。だからこのブログを読んでいるみんなのような人たちは、それぞれの領域で「崩壊した後の世界」を先取りして生きる準備をしている。
崩壊する社会とは「一つの規範で動くシリアルな現実」であり、その先に僕たちを待っているのは「複数の現実が並行するパラレルな現実」だ。
その前提のうえで。
今年はあまりにも社会の規範の崩壊と変化が激しいために「本当にこれでいいのか、自分?」とハードに問われる年になるのでなかろうか。
たいして変化しない社会においての「自分のモノサシの選択」はある種のファッションとして機能する。しかし不可逆の変化が露呈した社会において「自分のモノサシでの選択」を貫きとおすのは覚悟がいる。
崩壊から逃れられない状況を目前にすると、不思議なことに「やっぱり昔のままが正解だ。昔に戻ろう」という揺り戻しが世論として湧き起こるだろう。しかしそれは幻想であって「崩壊の予兆」でしかない。巨視的に見れば。
しかしだ、変化の現場に身をおいて「巨視的に見る」のはたいへんに難しい。「変化なんて必要ないんだ!今までの通りにやらないから上手くいかないんだ!」という幻想の世論のなかで「いや、それは違うんだ。自分は先に進まなければいけないんだ」と信じ続けること。このハードルを超えることが今年最大のチャレンジになる人が多いと思う(その筆頭は僕自身)。
徒党を組まず、でも絆はともに
「自分を信じる」ためには、逆説的だけど仲間が必要だ。
同じく変化に向かっていく人とお互いを励まし合っていくことが大事になる。
のだが。ポイントは価値観が同じ者同士で「党派をつくらない」ということだ。徒党は組まずに、ゆるやかに絆を共有していくことが大事になるんでなかろうかと僕は思っている。
それはなぜかというとだな。党派をつくると「孤独のなかで自分を信じる」というサバイバル力自体が減退していくし、次の変化の加速が起こった時の足かせになる。
境遇や領域は離れているけれど、離れた場所からお互い応援してるし、いざ何かあったら助けに駆けつけるぞ!という「徒党は組まず、でも絆はともに」という関係性が自分の支えになってくれる、はず。
変化の時代に「前に進む自分」を信じるのは難しい。しかしその困難さが、新しい時代の絆をつくってくれるのだと思う。
それでは良い一年を。