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非対称コミュニケーションを法にしたいというヘンな欲望。

最近、facebookのタイムラインで「秘密保護法案」のトピックスがたくさん流れてくる。

そのほとんどが「こんなのいらないし」、「これは良くない、むしろ悪い」というコメントが付いてくる。
僕の友達の傾向を差し引いても、民意(って何じゃろな)としては受け入れがたい法案なんでしょうね。

この法案の要諦を見ると、「国家機密が漏れないようにしたい」ということで、それだけ取り出してみると「まあ、漏れないほうがいいこともあるよね」みたいに思うんだけど、問題は「漏れないようにするための対策」にある。まず第一に「漏らしたヤツを厳しく罰しちゃうよ」という不穏な考えがあり、第二に「何をもって機密とするかは国家機密なのでキミたちには教えないよ」という不透明さがある。

それがセットになると、結果「そうと知らずに国家機密を漏らしてお縄頂戴」という、すごい「後出しジャンケン」をくらう可能性が出てくる。

…おお、これって典型的な「非対称コミュニケーション」だな。
ここ十年数年の間にビッグイシューになった「通信傍受法」や「共謀罪」と「秘密保護法案」をあわせて考えてみると、法案を出す側の「ジャイアン化してぇ」という欲求を見て取れます。

つまり、「お前の情報はオレのもの、オレの情報はオレのもの」という状態ですね。

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思うに、人はコミュニケーションを巡って、2つの相反する欲望に突き動かされている。
「自分のことは隠し、相手のことは裸にして見透かしたい」という非対称の欲望と同時に、「ワタシもアナタも、隠し事なくオープンに付き合いたい」という対称の欲望を抱く。ていうか、自分→相手の方向には非対称を求め、相手→自分の方向には対称を求めてしまう(ほら、恋愛とかもそうだし)。

この「自分の都合の良いことにしたい」という意向って、要は「大人げない」ってことだよね、とヒラクは思うんですけどね。

で。もうちょいこのトピックスを深堀りしてみるならば、この「秘密保護法案」が目指すのはどの辺りなのかってこと。
これ、ヒラクの憶測ですけど「この国には特定機密などありません」と市民に思わせることがゴールなのかなと。だって、特定機密って何か知らされないし、うっかり機密に触れた◯◯さん、最近近所で見ないね、駆け落ちかしら夜逃げかしら。みたいな事になっていくから、そのうち「特定機密について勘ぐる人」がいなくなっていくわけです(ロジック的には)。
なので、結果それは存在しないものになり「オレはジャイアンじゃないアン」みたいな明らかな矛盾が、なぜか矛盾でなくなってしまう。

「束縛したい」という欲望を最高水準で達成する手段とは、相手の「束縛されている」という認識を破壊するまで束縛を常態化&偏在化させることである。

…というロジックだと思うんだけど、まあどうなんすかね。
で、話を戻すとタイムラインに流れてくる「こんなのいらねーよ」という反発はどこから来るかというと「非対称コミュニケーションをここまで露骨に押し付けるのってありえなくない?」という不安からだと思うんですよね。

僕もそう思うよ。
やっぱりコミュニケーションは風通しが良いほうが、気持ちいいじゃん。

 

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