地営業とは何か、今こそお答えしましょう。
ヒラクです。こんにちは。
最近ほうぼうで聞かれる「合同会社++ってどんな会社?」の質問に、今週から本格的にお応えすることにします。基本は、++の紙係(かみがかり)社員であり、編集者・アーカイビストの才女、小田原澪さんのブログから。
僕のほうでは、++がやっている活動の「舞台裏」というか、「そもそもなんで始めたの?」みたいなことをお伝えしたいと思っています。
さて。合同会社++(たすたす)。やっていること、一見すると謎ですよね。
その謎な理由のかなりの部分が、会社のキャッチコピーにもなっている「地と人をつなぐ、地営業」という概念から来ています。これは何かというと、「これからの未来をつくる、新しいくせに懐かしい働き方&経済のありかた」です(最初は働き方だったのですが、最近は経済のありかた全般を指すようになっています)。
基本的な定義は、去年書いた記事「地営業宣言」をお読みください。地営業の定義はとてもシンプル。
▶ 地域の文化と風土を豊かにする
▶ 400年後の未来をつくる
▶ マイナスの状況をプラスに変える
この3つを大事にする仕事をなべて「地営業」とします。では、なぜ僕たちがこのようなコンセプトを提唱したのか、その「そもそも」をお話しさせてください。
—————————————☆————————————
僕が前職の「あきゅらいず美養品」を退職して独立を決めたとき、自分のなかでいくつか「やらないこと」を決めました。
①代理店との仕事はしない
②経営者と仕事をする
③社会を本質的に良くする仕事をする
の3つです。
今思えば、あきれるほど生意気かつ無謀な仕事でしたが、前職で常に経営者と一緒にいて、「クリエイティブは超重要な経営資源である」ということを実感してきたので、自分にとってはこれがごく自然な選択だったのです。そして、3つ目に、年来僕が考えていた「社会を良い方向に変える」という要素を付け加え、独立をしたのでした。
さて。ただでさえデザイン事務所や制作会社出身でないのに加え、そんな無謀な仕事にしぼり方をしたおかげで、当初から僕のところにはいわゆる普通の依頼は来るわけがない(例えば、雑誌のレイアウトをするとか、イラスト的なグラフィックをつくるとか、駆け出しフリーランスにまわってくる「業界内のツテ仕事」みたいなのね)。わがまま言って飛び出した前職から温情をかけてもらってかろうじて生き延びつつ(今思い返しても大感謝です)、なぜか東京の外の、およそデザインやクリエイティブと縁のない業種からの不思議な依頼に挑戦していくようになったのでした。
その頃はじめた仕事が、「手前みそのうた」や「甲州発酵物産展」のきっかけとなった山梨の五味醤油の依頼や、「命のカプセル」というヒット商品につながった静岡の「浜名湖ファーム」のうずらの卵、それに建築家の黒岩さん(++の上に建築時事務所があった)とはじめた、様々な自然エネルギーを使った都市計画の仕事です(思えば長く続いているもんだ)。さらに、最近ポスターを作った大阪の味噌ラーメン屋さんの「みつか坊主」や、国立の「やぼろじ」もそう。
ほとんど「都内の仕事」がない。そして、代理店も制作担当もいないので、農家や生産者や店長個人と「何をつくるか考えながら」モノを作っていく。そういう仕事の仕方を身につけていきました。
で、そういう仕事をしていると、ますますそういう仕事が来るじゃないですか。それを必死にやっているなか、ある日気づいたんですね。「そうか。今の社会の根本問題は、生態系の問題と地域経済の問題がセットになったところにあるのだ」と。僕に仕事をお願いしてくれた色んな地域の人たち(特に食や林業に関わる生産者、製造業)の危機は、もとを辿れば、社会のなかでの「その土地固有の生態系から生み出される資源」の価値が軽んじられるところから起こっている、と僕は考えるようになりました。
だから、例えばユニークな郷土食や、良質な木材を育んだ「土や水」、そしてそこを何代も渡って守ってきた「ひと」の価値をボトムアップするために、自分の「デザイナーとしてのスキル」を使うことにした。してみたら、良い結果を出るのにビックリしたわけです。
彼らのつくっているモノの価値が再発見され、それにつくるひとが自信を取り戻し、それを聞きつけた地元のひとたちが集まってきて、共同体がちょっとずつ変わってくる。それが少しづつ少しづつ求心力を生み出して「ポジティブ・フィードバック」がかかってくる。
「地営業」の概念は、この経験則からうまれてきたものです。
定義だけを見るとすごく抽象的に見えるけれど、それは、僕が出会ってきた「地営業」を営む人たちがみんな共通でもっているものを抜き出したものなのです。
だから、「地営業者」にはいつもその「固有の顔」がある。甲府の味噌職人や、宮城の米百姓、多摩の林業家。そして製造業だけに関わらず、アジア固有の「時間」の研究家、自然エネルギーを読み込んで街をつくる建築家、山中湖で衰退した保養所を文化の発信地に変える宿のオーナー…。
自分の日々の営みそれ自体がすでに「社会の根本問題解決」になっている、「日々働いてよろこびを得ること」がイコール「良い未来を拓いていく」。そういう人のあり方と、そういう人たちを求心力に生まれていく経済や共同体のありかたに「地営業」という名を与えてみたのです。
そして、その名をともにつくった共同代表の安田さんをはじめとする仲間たちと立ち上げたのが、「合同会社++」です。だから、その理念は「地営業」を通して「生態系と人間の営みが調和した社会をつくる」こと。で、僕がデザイナー、安田さんと小田原さんが編集者なので「地営業」のありかたをつくるレバレッジを「デザイン・制作・企画」としているわけです。
なので僕たちは単に「制作会社」なのではなく、「地営業カンパニー」と名乗っているのです。…ちょっとづつややこしさが解消されてきましたか?されてない?
そうですか。それでは、僕たちが出しているフリーペーパー、その名も「地営業通信」をお読みください。PDF版はこちらから。ブログに転載したものはこちらから。
第一号は、山中湖のさびれた保養所を継いでデザイン宿に変えて文化発信地に変えたユニークな青年、高村直喜くんです。彼の話を聞くと「地営業とは何か」がじんわりと伝わってきますよ。