住みやすい家について考える。
こんにちは、ヒラクです。なんとなく春陽気の週末。
いつの間にか庭の植物たちがいっせいに育ち始めていました。
僕がいま住んでいるのは、築60年強(大家さんも詳しく知らない)の古い平屋。
「古民家」というほど立派な建物ではなくて、安普請の小さい一軒家です。間取りでいうと、七畳程度のダイニング+6畳の和室、三畳くらいのキッチンのみ。なのですが、玄関がなぜか三畳くらいあって(タタキというらしい)。和室とトイレをつなぐ渡り廊下がある。
洗面所がなかったり、家全体が傾いていたりと、突っ込みどころ満載なのですがなかなか良い家なのです。
で、最大の突っ込みどころは、家の総面積がだいたい45㎡(15坪に満たない)ぐらいなのに、敷地面積は30坪ぐらいあること。そう、敷地のうちおよそ半分は「庭」なのですよ(玄関に面した「前庭」と、和室の縁側に面した「裏庭」の2つがある)。
引っ越した当時は、裏庭に立派な柿の木があったのだけれど、去年の秋に周りの家が取り壊されるときに伐られてしまいました。で、その時は悲しみで毎晩枕を濡らしていたのですが、春になってみたら柿の木がなくなったこと&前にあった隣家の高いブロック塀がなくなったことによる日当りがよくなって、庭の植物たちがいっせいに茂り始めたのですね。今年は去年までとはまた違った気持ちの良い春を過ごせそうです。
さて。
今日の本題は「住まいの気持ちよさ」について。
普通、都会で家を選ぶというと、「ダイニングが〇〇畳、キッチンの設備が〇〇で、収納が〇〇で…」と、スペックで見るのが普通だと思うのですが、ヒラクはそれを無視しないまでも、ちょっと別の観点で住まいを見ます。
「風が抜けている」かどうか、これが家の住みやすさを支える本質的な要素であると僕は思う。
では風が抜けるために必要になる条件はなにかというと、「家のそと」との関係性なんですね。
さらに具体的にいうと、開口部(窓とか)の配置と、じゅうぶんな換気、そして家の周りに「風や日射を良い感じに調整してくれるもの(望むべくは植物)」があるか、ということになります。
つまり、家の「なか」と「そと」のボーダーラインの関係性をよく見る、というのが(ヒラクにとっての)「住みやすい家」を探す条件になります。で、この「住みやすさ」は意外にも今日における「住まいの合理性」とは逆の方法論のほうが実現されやすい(と思う)。
敷地いっぱいに建物をつくるよりは、余白(=専一の目的がない空間)をつくる。
機密性をあんまし重視しない(これは言い換えると、エアコン前提の住空間を想定しないということになる)。
で、今住んでいる家を考えると、そもそも半分以上が庭で、しかも家が傾いて隙間だらけだから風の通りはめちゃくちゃ良い。夏なら涼やかな空気が、冬なら暖かな空気が…と言いたいところですが木枯らしが吹いてくる。
でもね、言い訳みたいですが、気密性バッチリのところで室温調整しているところと、多少隙間風ぴゅうぴゅうでも空気がいつも入れ替わっているところを比べるならば、僕は後者のほうが良いと思う。
科学的な裏付けはないかもしれないけど、いつも「フレッシュ」であるのが、日本の湿度の高い風土に適しているとヒラクは思うんですね(ちなみにこれは普遍的な話ではなくて、あくまで日本の話。サハラ砂漠に行った時は、「なるべく風を通さない家のほうが良い」と思った。常にものすごい砂塵が飛んでくるし)。
とはいえ。
そういう「フレッシュさ」をキープしつつ、なるべく快適さを保つ工夫が昔の家にはあるんですよ。
今住んでいる家は、ダイニングと渡り廊下のあいだ、そして玄関とのあいだに障子があって、この「ゆるやかな壁」が馬鹿にできないんですよ。特に冬場は。
家の外壁がぜんぜん断熱されていないから、建物全体を暖めることはできない。だから、当然空間の一角を集中して暖めることになる。で、その時に障子が良い仕事をするんですね。
普段は開けっ放しの障子で仕切りをつくって、一時的に「狭い空間」をつくる。そして、たかが紙なんですけど、意外に局地的につけているストーブの熱を逃がさないんですね。
構造的に見ると、まず家の外壁がある。だけどその外壁がアテにならないから、障子で家のなかにもう一つの小さな家をつくる。そうやって断熱性の低さと熱源のパワー不足を補おうとするわけです(昔は火鉢とかだっただろうし)。
そんで、夏になったら建具を全部外してしまってオープンにする。それでなるべく窓を開けて、涼しい風をたくさん呼び込む。庭に水を撒いておくと、気化熱が発生して風がさらに涼しくなる。
そういう「暑い」と「寒い」の極端さを、「フラジャイルな素材」をつけたり外したりして調整していく。
ローテクですが、経験則に基づいたすごい仕組みなんですよ。
たくさんのエネルギーを使って、外界の影響を受けない空間のコンディションを作れるようになったのはつい最近のこと。そのまえは、いかに「その場の風と熱を読み込むか」という分析的な発想でもって、住まいをつくっていたわけです。で、そういうテクが施された家は暑かったり寒かったりするけど、やっぱり「気持ちいい」。
そして。さらに今の家でもう一つ気づいたことが。
僕、シックハウスにかかりやすいので、引っ越すとたいがい一ヶ月のあいだやくしゃみや咳が止まらなかったり、ちょっとアトピーっぽくなったりする。だけど、今の家はそれが一切なく、引っ越した当日から全然快調だったんですね。
で、なんだろうと思ったら、壁が「土壁」なんですよ。壁のなかに藁が入っているんです(驚)。
なんとアナクロな家に引っ越したのか…と思っていたのですが、言い換えればこの家にはほぼ「新建材」が使われていないということになります。
人によるけど、僕みたいな体質は、家の構造をつくっている素材にけっこう敏感に反応する。
そういう意味では、合理的な新建材が登場する前の家は「安普請」でもからだには負担をかけない(最近の家はしっかり考えてお金をかけないとこういう家はつくれない)。それは、無垢材の床を敷いてからさらに実感することとなりました。ヒラク的には家の材料は、なるべく「生きているモノ」を取り入れるのが好み。
てなわけで、色々と問題もある家ですが、僕はけっこう気に入っています。
でもこういう家って、住みやすさをキープするために、良くも悪くも日々の「生活の肌理細やかさ」が大事だったりするんですよね。収納が少ないから片付けをちゃんとしないとすぐ空間のカオス度が上がるし、そもそもたくさんのモノを持てない。庭いじりを怠ると、窓の外の景色が荒廃していく。窓を開けたり、建具を付け替えたり、あれやこれやとめんどくさいけど、そういうのも含めて「楽しい」と思えれば、結構いいもんなんですけどね。
桜が咲く頃になったら、まずは土を耕すところから庭いじりしようっと。