「日常」の意味

こんにちは。ヒラクです。
僕はいま、京都から東京の工作室へと帰ってきて、PCの前に座っています。

情報もないし、専門知識もない状況で何が伝えられるだろう…と、色々と迷っていましたが、思うことがあったのでブログを書くことにしました。
友達に電話したり、twitterを読みながら感じたのは、この事態だからこそ、「日常を大事にしよう」という想いでした。

俯瞰の視点の政治論、「~べき論」ではなく、今自分たちができる範囲で何をするのか、何ができるのか、という意見が強く印象に残ったのです。

募金やボランティアの選択肢ももちろん、ある。

でも、被災地でない場所にいる人ができることは、普段通りの生活を送って、仕事して、飲み屋にいったりして消費活動をすること。そんな論調を多く見るにつれて、なぜかヒラクの脳裏に思い浮かんだのは、暮しの手帖の特別号、「戦時中の暮しの記録」でした。


この特別号は、今から40年以上前に発刊され、初代編集長、花森安治の熱意がこもった、素晴らしい一冊です。今でも捨てずにとってある人も多いと聞きます。
「戦時中の暮しの記録」は、その名の通り、第二次大戦中に普通の人々がどんな日常生活を送っていたかを読者から募集し、それを記録としてまとめたアンソロジーです。

極度の物不足の中で、どのような工夫をしながら飢えをしのいでいたのか。ものをどのように修理していたのか。そのように不安をしのいでいたのか。軍人ではなく、内地で生きていた「普通の人々」に焦点をあてたこの号には、暮しの手帖の哲学が凝縮されていると僕は思うのです。

人が何かを食べ、屋根の下で寒さ暑さをしのぎ、家族や隣人とコミュニケーションを取る必要がある限り、全ての場所に「日常」という営みがあります。
どんなにインフラが危うくなり、不安が襲っても、人が生きている限りそこには日常がある。

だから、どんな「非日常」にあっても、その下に埋もれた「日常」を見る。そこから、人が前向きに生きる「意味」を具体的に捉えていく。大文字の、大局的な言葉ではなく、常に小文字の、個人に根ざした言葉を紡いでいく。そんな眼差しが、この「戦時中の暮しの歴史」を際立たせているのしょう。
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「非日常」とは「日常」がない、ということではなく、「日常」が見えにくくなっている、ということです。

ずっとずっと大昔から、天災や争いという「非日常」が人の運命を翻弄し続けてきました。その中で、決して教科書には出てこない無数の人々が、なんとか「日常」という砦を築いて自分たちの暮しを成り立たせようと頑張ってきました。

それは、「三匹のこぶた」のワラでできた、頼りない小屋のようなものかもしれません。

その小屋が吹き飛ばされる度に、木の家を作り、レンガの家を作り…という繰り返しが現代の歴史なのだとしても、しかし絶対に崩れない砦は作れなかった。それでも、生きていればまた建て直すことができます。

家だって、暮らしだって、きもちだって。

「非日常」があたり一面を覆われたかのように感じた時、それでも残っている「日常」が灯りになります。日常とは、「戻る」ものではなくて、「戻す」もの。
この状況において、「日常」と「希望」は同義語です。

さいわい東京では、日常は全壊したわけではなく、穴があいたぐらいのはず。だから、それをふさぐのはそんなに難しくないと思うのです。
なんだかとりとめのない話しかできないのがふがいないのですが、僕はいつも通り仕事をして、友達と飲みにいって、お風呂に入ってよく寝ます。
本当は不安だけど、ちょっとだけ背伸びして、ふつうに暮らします。
それでは、今日もよい一日を。


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