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「できることとできないこと」の境界線。

昨日の話の続き。

「専門外の領域に首を突っ込む」ことで、もう一つわかったことがあります。

建築家や経営者と問題に向い合っているとき、僕は建築や飲食店経営の「素人」なわけですが、同時に「グラフィックデザイン」の専門家なわけです。

で。このスタンスでいると、実は自分の専門であるグラフィックデザインが「一枚のカードにしか過ぎないこと」に気づく。

状況によっては、別のカードを出すほうがいいこともある(というか、そういうこと多いよね)。

同じデザインでも、WEBのデザインかもしれないし、プロダクトかもしれない。デザインという括りを外せば、人事制度の改変だったり資金調達だったり、バイトの時給を100円上げるとか女子の制服を私服にする、みたいなことかもしれない(笑)。

その事業全体を俯瞰する立場を想定してみると、自分の専門は「たった一枚のカード」なわけですよ。
だから別に僕の専門は大したことないんだ。
…という話じゃないですよ(というわけで本題)。

自分のなかで「たくさんのカード」を可能性として持っている人は強い

最近、そんな風に思います。
「何でも屋になれ」というわけではありません。「自分のできること以外の可能性」を経験則として持ちつつ、それを踏まえたうえで「自分の得意なカードを出す」ということです。

河合隼雄さんが、梨木香歩さんとの対談本(たぶん。違ったらすいません)で、「精神分析の場では、何を言うかの内容よりも、それを口にするまでにシミュレーションした可能性の多さが説得力を持つ」というようなことを言っていました。

「先生死にたいです」と言われて、「お前に死んでほしくない」という答えしかできない医者はたいしたことないと。「そうか、死ぬのもありだな」とか「じゃあこれが最後の別れだな」という答えも可能性として「アリ」としつつ、「お前に死んでほしくない」と答える。

そしたら患者さんに「背後にある言葉の質量」が伝わって「効く」そうなんです。
これ、僕の仕事にもあてはまる。

人事のこととか、生産現場のこととか、研究開発のこととか、先代社長と若旦那の関係とか、法律のこととか、そういう「色んなカード」「色んな可能性」を噛み締めた後に、「すまない。拙者にできるのはグラフィックをつくるまで」と詫びる。

それすらできなかったら、できそうなヤツを連れてくる。

いちおう話には通じている。しかし「何でもできます」とは言わない。
「拙者、ここからここまでにて候」と、じっと地面を見つめるのみ。

様々なことを経験則で知っているから、自分の「できることとできないことの境界線」を伊能忠敬のごとく正確に計測している。

この有りざま、カッコいいと思うんだよね―。

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