BLOG, ▶はたらくこと、生きること

もう「昨日までの世界」に戻れない瞬間。パリでの事件について。

パリが大変なことになっているようだ。
早朝、ボローニャのホテルで起きたら友達から「そっちは大丈夫?」とメッセージが入っていた。何のことかわからいまま空港に向かったらイミグレーションが大混乱していた。

ロンドンに着いてニュースを調べてみたら、パリでISIS(イスラム国)によるものと思われる同時多発テロが起きていたらしい。空港のEU圏内の人向けのイミグレーションがスゴいことになっていたのは、非常事態宣言で一時シェンゲン協定(EU県内の国境検査免除)が一時解除されていたためだった。

イギリスを移動した後すぐにパリに行くつもりだったので、冷や汗が出る。ロンドン空港でフランスの新聞le mondeのWEBサイトで事件の詳細を読んでいたら、僕がかつて暮らしていた場所のすぐ近くで乱射事件が起きていたことに驚く。自分の見知っている場所でこういう事があったことに茫然とする(もちろんライブハウスのバタクランも知っていた)。

事件のあったあたりの地区は、10年前の僕と同じような歳の若い子たちがわいわい楽しんでいるような場所で、夜のカフェやバーで友達と集まって遊ぶのは本当に楽しいことだった。

そういう場所で突然銃が乱射され、人が何人も死んでしまった。
お気に入りの場所で、気の置けない友人と集まって遊ぶ、ということがもう当たり前にできないということが突きつけられる。そんな事件が起こってしまった瞬間から「世界がもう別のものになってしまった』という感覚がそこに住む人にはあるだろう。僕自身もなんと言っていいのかわからない重苦しい気持ちになる。

ある瞬間を境に、もう昨日までの世界に戻れない一線が引かれてしまうことがある。
僕が感じたのは、そんな気持ちだろうか。

「今回パリで起きているようなことは中東では日常的に起きている。パリだけを特別視するのではなく、テロや紛争の犠牲になった他の国の人たちにも同じように気持ちを向けなきゃダメだ」

という声が「賢明に振る舞おうとする自分」から聞こえる(実際パリと同じ頃イラクやレバノンでも同様の事件があった。)
だけどどうだろう。アタマと気持ちのギャップを埋められない戸惑いが残る。「戻れない一線」が引かれるのは、客観的にはパリ以外のどこでも起こりうる。ただ、僕にとっての「戻れない一線」はパリで引かれた(なぜなら僕が身体的によく知っている場所だからだ)。そのなかで気持ちを上手く横つながりに共感させていくことがができるのだろうか?

この「客観的に」と「僕にとって」のあいだにある、戸惑いとやるせなさを無理に否定しようとして誤解や失望が生まれるのだろう。「客観的に」だけを取ると倫理的な正しさの、「僕にとって」だけを取ると急進的な団結心の押し付けにつながる。

賢明な振る舞いではないかもしれないけど、僕はしばらくこの戸惑いの気持ちを宙ぶらりんにしたままにしとこうと思う。

 

(揺れる気持ちを落ち着かせるためにメモ。明日から平常運転に戻ります)

Pocket


【CONTACT】お問合せはこちらからお願いします。

お名前 (必須)

メールアドレス (必須)

お問合せ内容 (任意)


※送信する前にこちらをご一読ください→

メッセージ(任意)