「WEBで読みたくなるデザイン」とは。
ブログ引っ越し話の続き。論点は「どこに引っ越すか」。
えーと。このブログはもともとexblog(エキサイトがやっている無料ブログサービス)からスタートしました。
で、そのあとwordpressのシステムを使って、自前のwebサイト(tassetasse.jp)に組み込んだのね。ブログサービス=賃貸だとすると、自前サイト=新築戸建を買ったぜやっほう、という感じです。
ブログサービスも、新世代の波が。
で。そこからは引っ越すとしたらどんな選択肢があるか。
実はここ半年くらいでブログサービスの状況も大きく変わってきておりまして。今まではlivedoorとかamebaとか、「いわゆるブログブログしたサービス」が主流だったのが、急激に変化の兆しが起こってきているわけです(←ヒラク的には特に)。
筆頭は、medium(アメリカ) と note(日本)。
特にnoteはけっこう記事を書いてみて手応えを感じたね。「おお…新しいし面白いじゃん!」てな感じで。
(ちなみに電子書籍サービスwoody代表のゆうじ君いわく、 note は medium を日本用にローカライズしたようなものだそうな)
noteのインターフェイス。上品だぜ。
これ、端的にいえばブログサービスなんですけど、何が今までのと大きく違うかというと「とにかく記事を読ませるインターフェイスがスゴい」というところなんだね(あとは、記事を有料で売れるというのもあるけど)。えーと、上手い例えかどうかわからないけど、同じ女性向け雑誌という括りでも、「can can」と「暮しの手帖」だと全然後者のほうが読みやすいしなんか上品で、おんなじ記事を読んだとしても「暮しの手帖のほうがありがてえな~」という感じになるでしょ。
そんな感じなのです。
余計なインターフェイスを限りなくそぎ落とし、上品な明朝体かつちょっとグレーがかった文字色、広めの行間&文字間で、「まるで古本屋さんで古き良き岩波文庫(ソローの「森の生活」とか、鈴木大拙の「日本的霊性」とか)に出会っちゃった」みたいな「由緒ある感じ」を演出してくれるわけです。
読むモチベーションの少なからぬ部分は、デザインで作られる。しかし……
デザイナーとしてはね、ここで「読むというモチベーションの3分の1くらいは、実は文字組みのデザインでつくられる」という持論を説きたい。
mediumやnoteのデザインインターフェイスは、どんな文章であっても「ここに書かれたテキストは、ソローや鈴木大拙に匹敵するような内容なんスよ」というアウラを生成してくれるんですね。テキストを書く側にとって、これはとっても「アガる」要素なワケです。
「なるほど。では、なぜヒラクくんはなぜmediumやnoteを選ばなかったのだね?」
「えっとぉ、理由は二つです。一つは、インターフェイスが良すぎると、『雰囲気に流される』というリスクがありそうだ、ということ。」
「ほう。ではもう一つはなんだね?」
「もう一つは、読みやすいインターフェイスを追求すると、書籍に近づきすぎて『検索性』が犠牲になる、ということです。」
「もうちょっと詳しく頼むよ。」
「従来のブログシステムの最大の利点は『たくさんのコンテンツをまとめて分類できる』ことです。僕のブログは、気づいたら350記事くらい溜まっています。そうなると、最近の記事から過去の記事にいかに辿り着くか、というインターフェイスが重要になってくるわけです。」
「いったい何がいいたいのだね?」
「つまり、mediumやnoteは、『一つの記事を特別に見せる魔法』を使えるわけですが、デジタルコンテンツの最大の魅力である『複数のコンテンツを自在に行き来できる』という特性が弱くなるわけです。」
「それでは何かね、ヒラクくんは『なぜデジタルコンテンツが改めて書籍=紙の媒体の方へ回帰する必要があるのか』という疑問を持っているということなのかな?」
「まあそういうことです。僕が言いたいのは、ブログで読むことと、書籍で読むことはまったく別の体験だ、ということなんです」
はい。そうなんです。
なぜ僕がブログサービスのプラットフォームを選ばなかったかというと、「既にある過去のアーカイブを活かしにくい」という問題があるわけです。
新しくブログを書き始めたい人にとってはmediumやnoteは素晴らしいけれど。一定以上の量のコンテンツが既に蓄積されている場合は、実は書籍的なインターフェイスでないほうがいいと思うんです。
と、そんな理由から結局また「記事を分類してキレイに収める箱」をイチから設計したわけなのでした。