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ドラゴンボールの本質は「学びの継承」にあった!〜亀仙人の卓越した教育法〜

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武道の達人に弟子入りするも、毎日牛乳配達。しかしこれには意味があった… “ドラゴンボール ©鳥山明”

最近、ふとドラゴンボールを読み返してみました。
子どもの時は「ひたすらバトっている格闘漫画」だと思っていたんですが、この歳になって改めて読むと、実はこの漫画の本質は「学び」なのではないか…と思ってしまったので今日は所感を記しておきます。

亀仙人はめっちゃ「いい先生」なんじゃなかろうか…

まだバトル三昧になる前の悟空が子どもの時代が興味深くて。なかでも「悟空とクリリンが亀仙人に弟子入りするくだり」が僕的にはツボだったんですね。
天下一の武道家に弟子入りということは、道場で実践的かつテクニカルな手ほどきを受ける展開を想像するじゃないですか。ところが、亀仙人が二人に課すのは「牛乳配達」とか「素手で畑の開墾」とか「土木工事」とか。これをひたすらハードにやらせる(しかも重たい甲羅を背負わせて)。

弟子入り期間のほぼ全てを、この「基礎トレーニングの反復」に費やして、具体的なテクの伝授とかはしないわけです。
でもね。これ、「学びの真髄を突いた方法論」なのではなかろうかとヒラクは思うのです。

亀仙人には、修行をはじめる段階から悟空とクリリンが「自分を超えるかもしれない」という予感がある。
ここがけっこう大事なところで、亀仙人が育てたいのは「マックス自分と同じ強さの弟子」ではなくて、「自分を超える強さの未知の存在」なんですね(と断言しとこう)。

となると、自分の型にはめすぎることは、もしかしたら二人の可能性を殺してしまうかもしれない。
ではどうするか。亀仙人の取る戦略は以下の2つ。

その1:手ほどきはしないが、自分の型と強さの限界値を見せる。修行を始める段階で「今回の修行で目指すのはこの辺り」という基準値を、岩を動かしたり、徒競走のタイムを測ったりしてまずは弟子と共有する。しかし、具体的な方法は見せない。この「見せつつ、教えない」という方法論が亀仙人の「教えの達人」たる理由なのよ。だって、悟空もクリリンも超モチベーション高いわけだから、「可能性」さえ見せれば勝手に自分で技を盗もうとする。この「盗もうとする行為」から、観察眼や工夫する力が発動してくるわけです(結果、悟空は見よう見まねでかめはめ波をマスターする)。

その2:無意識の状態をマネージし、基礎体力を鍛える。これが「牛乳配達」とか「素手で畑の開梱」にあたるところね。これもよくよく考えると奥が深い。普通教師は「訓練している時間」をマネージしようとするのですが、亀仙人は「訓練していない時間」をマネージしようとする。訓練している時間は、弟子のモチベーションが高ければ勝手に自分でマネージするわけです。ところが、訓練していない時間は意外に他の人に管理されないとマネージできない(←というか、そこを管理するという発想自体にたどり着かない)。
「意識的に訓練している時間」は、究極教わる側の自発性が100%発動している状態が最高(=教師の技を盗もうとしている時)。つまり教師はあえて教えないほうがいいことになる。その代わり、亀仙人は「教師と向い合っていない状態」の条件をセッティングしていく。

この合わせ技により何が起きるか。
なんと、「24時間いつでも修行」というスゴい状態が生まれるわけです。「訓練する」という固定概念を外すことで、全ての時間を「訓練する」シチュエーションにしてしまう亀仙人の卓抜した方法論。そしてその方法論を取る理由は「自分を超えるかもしれない可能性」を育てようとする懐の深さにあったのですよ。

みなさん知ってましたか?
(僕は今日このエントリーに書くまで知りませんでした)

普通の器の教師は、自分のコピーを再生産することで自分の名声を確立するわけですが、卓越した教師は自分を超えていく者の踏み台の役を進んで引き受ける(このあたりが鶴仙人との違いなのだな)。だからこそ、悟空とクリリン、ヤムチャは師を遥かに超えても亀マークの入った道着を着るんですね。

繰り返される戦いは、実は学びを継承するためにある。

ピッコロ1-1
悪人だと思われていたピッコロも、悟飯を教えるうちに人格が「教師」に成長していく。”ドラゴンボール ©鳥山明”

この亀仙人の方法論なんですけど、形をかえて何度も何度も反復されます。
ピッコロが悟空の息子の悟飯を鍛えるときも、亀仙人と同じ方法論を取ります(修行期間の半分以上を「荒地で生き延びること」に費やす)。
あるいは、悟空は界王様のところで修行するときも、修行期間のかなりの期間「お猿さんを捕まえること」に割く。

これも全部同じ発想。「立って息をしているだけの時間」を訓練時間に変えるという方法論です。
ある期間、こういう24時間トレーニングを経ることで、強くなっていく。

で、今まで勝てないと思われていた敵をやっつけられるようになるわけですが。
何度も何度も『強敵出現→先生登場→24時間トレーニング→強敵を倒し、いつのまにか先生超え』というパターンが繰り返されるのを見るにつけ、「実は、敵を倒すことではなく、学びを重ねることがこの漫画のテーマなのでは…」と考えざるを得ないよね。

悟空→悟飯→悟天と主人公が三代に渡って引き継がれていくとこからも、ドラゴンボールの本質は「教師(親)から弟子(子)への継承」であると定義しても良いんでなかろうか、と思った次第です。

最後に亀仙人の教師としての名ゼリフをば。

『よく動き よく学び よく遊び よく食べて よく休む これが亀仙流の修行じゃ』

いいよね。こういう先生。

 

【追記】よくよく考えてみれば、亀仙流の教えが可能になるのは、前提として弟子のモチベーションの高さが必要。と考えると、亀仙人の最もスゴいところは、「弟子を超選ぶ」というところにあるのかもしれない…。

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