たまには日記的なメモ。

今月末から始まるgreenzの『発酵デザイン入門講座』や、鋭意執筆中の書籍のために毎日微生物の研究を頑張っているわけなのだが。
ここ2〜3ヶ月は、実際に菌を培養したり発酵食品を仕込んだりする「実技」ではなく、生物学の基礎をしっかりおさえるための「座学」に集中している。

で。これがめっちゃ疲れるんだよね。
発酵現象を分子レベルで説明するためには、細胞生物学や分子生物学、遺伝子学などを「工学的に」しっかり理解しないといけない。「工学的に」というところがミソで、一般教養的な押さえ方ではぜんぜんダメなのだよ。
左手に教科書、右手に分子模型を持って「この分子が外れて、こっちにくっつく」みたいなことを「おはなし」ではなく「エンジニアリング」としてイメージできるようにならないと、本当の意味で「発酵とはいかなるものか」ということは説明できない。

さてこの「Microbiology=ミクロの生物学」、ストーリーや文脈で理解する文系でもなければ、数理モデルですべてをあらわすような理系でもない。なんと言っていいか難しいのだけど、様々な物質が組み合わさったり分解したりする「アクション」が時間軸に沿って「チェーン」になっていくという、空間と時間の両方を織物のように紡いでいくような作業だ。

この作業を一言でいうと、めっちゃ脳みそが疲れる。

ふだん何時間でも本を読んだり調べ物ができるヒラクだが、このMicrobiologyに関しては「1日2時間まで」が限度。それ以上続けても何もアタマに入ってこない。教科書を40ページくらい読み進めたら、もうお腹いっぱいで何もできない。

それもそのはず。
『姉妹染色体をまとめているコヒーシンが「セパラーゼ」と呼ばれる特別な分解酵素によって加水分解される』という一文には、染色体に姉妹があり、それをまとめているコヒーシンという鎖があり、その鎖を外すセパラーゼという酵素がある、という1つ1つの事実を、無数の科学者がそれぞれ何十年もかけて発見・証明してきたのであるから、一行の重みがハンパない。

これだけの知的負荷がかかる勉強をやるのは、パリに住み始めた頃にフランス語を勉強した時以来。夢のなかで「DNAが巻きずしのようにクルクル丸められてヌクレオソームになり、ヌクレオソームがブドウの房のように連結してクロマチンになる」というショートムービーが何度も再生され、翌朝目を覚ましてもぜんぜん疲れがとれない。

いつかこの暗いトンネルを抜ける瞬間がやってくるのだろうか。
それまでに正気を失って人間であることをやめて菌になってしまうかもしれない。