山梨の小さな集落に住みはじめて「人間は放っとくと何でもつくる」ことを実感する。
隣に住んでるHさんは大企業を早期退職して北欧からログハウスキット取り寄せ自分で家をDIYし、果樹栽培も田んぼもやってハチも飼ってる。
集落の他のメンバーを見てみても、自分で建てた小屋で週末カフェをやったり、畑やったり。村の水道のメンテナンスまで自力でやる。とにかく何でもやる。僕もボロボロの自宅をなおしたり荒れ放題の裏庭を開墾したりしてそれなりにDIY力は上がったが、ぜんぜんひよっこだ。
集落の人たちの「うっかり何でもつくってしまう」という生き様を見ていると、都市は「いかに人間のつくりたい欲を抑制するか」をテーマに設計されているのではないかと思いたくなってくる。
もう80回近く開催している「こうじづくり講座」も、これだけしつこくやっているのに毎回キャンセル待ちの満員御礼で、参加者の「自分でつくりたい!」という熱はスゴイものがある。(かくいう僕もDIYギークなわけだが)
僕としては食欲・睡眠欲・性欲に次ぐ第四の人間の本能として「DIY欲」を挙げたい。
料理も日曜大工もガーデニングもFABこのDIY欲が駆動した結果ではないか。
しかしこの本能は消費主導の文化システムとぶつかるので、都市文明は「第四の本能は『DIY欲』ではありません。『買物欲』です」と主張する。
マルセル・モースの「贈与」の概念から考えると「買物欲」にはさらに古層がある。
「交換欲」だ。食・睡眠・性欲が「動物としてのヒト」の本能だとすると、DIY欲と交換欲が「人間としてのヒト」の本能かもしれない。「自分でつくったものを交換したい」という欲がクラやポトラッチを駆動している。
…とツイッターでいつもながらのテキトーなことをつぶやいていたら、このブログではおなじみのクラシコム青木さんから
DIY欲というのは広義の権力欲だと思うんだよね。世界は自分の思う通りにならないので、思い通りになるサイズにセグメントした世界をコントロールすることで代償行為を成立させてる。いわゆる趣味、仕事、スポーツなど夢中になる対象には当てはまる https://t.co/4g4Rv2ANhW
— 青木耕平 (@kohei_a) 2017年1月15日
思い通りにはならない世界で、思い通りにならないことを嘆き続けるのでなく、思い通りにできる世界内世界を見出してそこにフォーカスして生きるのが、仕事に生きることであり、趣味に生きることであり、スポーツに生きることであり、すべての夢中に生きるということなのかも。
— 青木耕平 (@kohei_a) 2017年1月15日
という名言がリプライされてきた。
「何かをつくりたい」という本能は「自分の身体のサイズで把握できるもう一つの世界」をつくりたいということで、「他人と交換したい」という本能と組み合わさることで、人間の文化や経済ができあがってくる。
「DIYしてえ」という素朴な欲求の先には会社の起業やコミュニティづくりがあり、「交換してえ」という欲求の先にはビジネスや芸術、スポーツがあるのかもしれない。
夢中な人生、贈りたいねえ。