富国強兵は「発酵」が支えた?酒と税金のクロニクル

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▶富国強兵は「発酵」が支えた?酒と税金のクロニクル | ソトコト2015年8月号掲載 

かつて「酒税」が国の税収1位の時代があった。人を惹きつけてやまない酒は、政治の思惑によって何度も運命の荒波にもまれてきたのです。
ということで今回は趣向を変えて、「酒」と「税金」のお話。よろしく!

税制改革と富国強兵

愛知県知多の『澤田酒造』に、おもしろい風俗画が残っています。酒造りの中心地である兵庫県灘のお酒を「科学の力」で打ち負かすというもの。描かれたのは明治後半。日本酒の「近代化」が推し進められた時代でした。

誰が推し進めたのかという、何を隠そう国税局。なんでお上が日本酒づくりに口出しするのか? その理由は「酒税改革」にありました。 明治29年(1896年)、江戸時代までのおおらかだった税金制度に厳格なルールが設けられます。「つくったお酒の量だけ税を収める」という仕組みにより、国は酒造の生産を監視することができ、効率的に税金を徴収できるようになったのだね。

この改革の狙いは何だったのか?日露戦争の資金、つまり「富国強兵」の原資として酒に目が付けられたわけだ。

科学技術が酒蔵の運命を変えた。

税制を変えると、国税局は『醸造試験所』という機関を造りました。欧米から輸入した最先端の微生物学を取り入れて「腐らない酒造技術」の開発に乗り出した。 江戸時代、灘で完成した伝統の酒造りは、雑菌が入って腐ってしまうリスクと隣り合わせでした。国税局はまずこのリスクを取り除くことを考えた。
腐ったお酒に税金はかけられないからね。

それまでの蔵付きの菌に頼った「生酛」ではなく「速醸」という、化学に合成した乳酸を入れて酒造りをスタートさせる方法を開発し、各地の酒蔵に指導を始めたのです。で、何が起こったかというとだな。
伝統づくりの総本山、灘が「ウチには伝統のブランドがありますからなあ…」と渋るなか、地方の酒蔵は「これで灘に勝てるかもしれない……!」と喜び勇んで「速醸」を導入し、地方の酒蔵でも安定した質の酒を造れるようになりました。

話を最初に戻すと、澤田酒造は、まさにこの時代の「日本酒戦国時代」に頭角をあらわし、淘汰を生き残った酒蔵だったのです。

「中央集権」から「地方分散」へ。酒づくりは社会の鏡。

さてそれからどうした。
結局フタを開けてみれば残酷な世のコトワリ、勝ち組と負け組の命運がはっきり分かれてしまったのです。

まず税金によって酒の値段が上がったので、ブランド力がない酒蔵はどんどん廃業していった。加えて速醸に必要な生産設備は、小さな酒蔵には手が届かない。
対して元からブランド力のあった酒蔵はどんどん生産量を増やし、設備投資を繰り返して大きくなっていった。 明治はじめには2万5000以上あった酒蔵は、二度の大戦を挟んだあと、10分の1以下に淘汰されてしまいました。

ところが日本酒の生産量自体はどんどん増えていった。
要は勝ち組のシェアが拡大したわけだ。 同時に酒税の徴収額も天文学的に膨れ上がり、戦前までは地租や所得税を上回る「税収No・1」に。 国を大きく強くしたい時には「生産と管理の一元化」が最も合理的。その「富国強兵」の荒波のなかに酒も巻き込まれていったのです。
さて時代は21世紀。 日本は「大きくて強い国」ではない社会のあり方を模索するように。酒の世界でも時勢にシンクロするように、地方の小さな酒蔵から「個性的でラブリーなお酒」が登場し、ソトコト女子&男子に愛されるようになりました。

うーん、酒は社会を写す鏡なのだなあ。

 


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