先手必勝で愛を掴め!『東京タラレバ娘』はオトナになりそこねた女たちの挽歌だ

『東京タラレバ娘』の6巻を発売と同時に速攻で読了。
あまりの痛みに思わず我が家のニャンをひしっと抱きしめて心を整えました。

こここ、今回のタラレバ娘、あまりにもイタすぎて死者が出るんじゃないか?と心配になるレベルなので、ブログに感想を記してお祓いしておくことにします。

↓あわせて過去のタラレバ娘レビューもどうぞ↓
・なぜKEYくんは「隣り合って」座るのか?『東京タラレバ娘』の倫子さんが不憫すぎる件

マミちゃんに学ぶ「恋の先手必勝理論」

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©東村アキコ

6巻で白眉なのは「マミちゃんに論破される倫子さん」のシーンだ。
かつてヒロイン倫子さんに振られ、そこから経験を積んでデキる男になった早坂くんと付き合ったもののすぐに飽きて捨ててしまった19歳のじゃじゃ馬、マミちゃん(←倫子さんの弟子)。

そのマミちゃんをたしなめようとした倫子さんは、マミちゃんの

「あたし 脚本家なんで恋愛はいい脚本書くために必要だと思っています」
「付き合ってる男を傷つけてしまうことへの両親の呵責と、自分が脚本家として成功したいって欲望を天びんにかけたら、後者のほうが圧倒的に重いし」
「だから今のとこ、私にとって男って仕事のためのエサでしかないんですよねー」

という恋愛観に

「口挟む余地なく論破された…ッ」

と打ちのめされる(例によって酒場でビール煽りながら)。

ここで倫子さんが何に打ちのめされたのか。
それは「マミちゃんは自分で構築した理論で恋を語っている」という事実であり、別に倫理的なレベルではない(倫理ならタラレバ三人娘もとっくに捨てている)。

そう。
マミちゃんは「先手必勝」で男と付き合うのであり、倫子さんは何となく訪れたグズグズの恋愛に「後手を踏む」ことしかできてない(香さんも小雪さんも同様)。

マミちゃんは「私にとって恋愛とはこのようなもの」というビジョンがあり、そこにしたがって「今している恋愛の意味はこのようなもの」という明確な価値付けと戦略がある。
対して倫子さんは「まず恋愛が前提としてある」という現象があり、そこから後付けで「たぶん今している恋愛はこんな感じかな?」というふんわりした解釈があるだけで、ビジョンをもたずにふんわり戦争を始めて大敗した戦前の日本軍のような有様であるよ。

解釈はできるが、変わることができない

マミちゃんは体験を通して「理論構築」をしているが、タラレバ娘たちは体験を「後解釈」しかできていない。
マミちゃんは自分の「理論」に従って常にベターな選択肢をハントし経験を積み上げているが、タラレバ娘たちは自分の「解釈」によって現状肯定をするばかりで、経験をスクラップ&ビルドするばかりであるよ。

タラレバ娘の各エピソード中には、ヒロイン達のモノローグ(独白)が挿入される。例えば、

「自分は大丈夫だと 冷静だと言い聞かせ」
「気持ちが燃え上がりすぎないように 上手く火力をコントロールしているつもりが」
「いつの間にか足元が焦げ付いていて その虹を駆け上がることができない」
「やあ こりゃ驚いた どうやら私は 私はそんな女だったらしい」

のように。(ちなみにこれは不倫がバレた小雪さんのモノローグ)

ポイントは、「私は◯◯のようだ」という後解釈はあれど、「だから今後は△△のようにするつもりだ」というフィードバックがないということだ。

「〜つもりだ」という意志を伴わない解釈には、必然的に「だったらどうしたらいいんだろう?」という出口のない自問自答がついてまわる。
この自問自答が倫子さんや香さんや小雪さんを苦しめる。彼女たちは聡明だしいい歳こいてるので、己を解釈することはできる。そこまではいい。しかしその先に「自分に何が起こっているかを検証し、ダメな部分を捨て、大丈夫な部分を補強する」という現実的なアップデートをすることができず、ポエムに逃げ、あげく不倫とか元カレのセカンド女とかに逃げ、さらには酒に逃げるのであるよ。

泥沼かよ。

タラレバに「なった」のではなく最初から「だった」仮説

…とここまで書いてみて気づいたことがある。

倫子さんたちは、いい歳こいてタラレバ娘に「なった」のではなく、10年前からすでにタラレバ娘「だった」ということだ。

それはどういうことかというとだな。
自分から先手を取れず、なし崩しの状況に後手を踏むばかりで、自分の都合のいい解釈ばかりで、自分の言動を自ら変えようとせず、しかし欲しいもののハードルは高いという無理ゲーな人生を歩んでいることに無自覚だということだ。

33歳の誕生日に「私、こじらせてるかも」と気づくのは、年齢を重ねることでデメリットが顕在化してきたからにすぎない。倫子さん、あなたはずっとずっと無理ゲーな人生を生きていたんだよ。

じゃあどうしたらよかったのであろうか。
倫子さんたちは、どこかのタイミングで少女からオトナに成長しなければいけなかった。
しかし、「オトナになる」ということに意義を見出せなかった(だから自分を客観視しアップデートすることができない)。そのロジックと背景については、シロクマさんが書いているこのエントリーに詳しいから僕は特に何も言うことはない。


“誰かに愛されたい・自分を幸せにしてくれる男性に巡り合いたい――このような幸福観と恋愛観を持っていて構わないのは「少女」のうちだけである。いや、今日の日本社会では、かつて「少女」と呼ばれていたような年頃でも、そのような幸福観や恋愛観を弄んでいる猶予など無いのかもしれない。実際、19歳のマミは少女などに囚われない男女交際をやってのけているわけで。”

『東京タラレバ娘』という神経症的葛藤 | シロクマの屑籠


 

「生きていくことを心配する必要がない少女時代」を経て成年になった後、突如として「サバイバルな中年期」が訪れてしまい、モードチェンジできずに詰む。

これがタラレバ娘たちの根源的な哀しみなのかもしれない。
救いがあるとすれば、KEYくんが香さんにバンドマンの涼くんと別れるように励ますシーン。
KEYくんの「行け!」というセリフには、タラレバ娘に「過去の幻想から自由になれ!」というメッセージが込められている(たぶん)。

それでは最後に「先手必勝」の概念を提案した孫子の有名な言葉を引用する。

「彼を知り己を知れば百戦殆からず」

目の前の恋愛相手と真摯に向き合い、己の弱さやズルさとも向き合う。
愛はまずそこから始まる(ま、そもそも愛は戦じゃないけどな)。

 

【追伸】私事で恐縮ですが、去年『東京タラレバ娘』のレビューをブログで公開してから、全国各地のリアルタラレバ娘から「ワタシの話も聞いてくださいッ!」という依頼が相次ぎ、なかにはわざわざ山梨まで来るツワモノまでいました(しかも複数名)。
いざ酒場のカウンターで話を聞き始めるとマジで「お前…まかり間違っても天国には行けねえぜ」というdopeな恋愛譚が続出し、「妖怪化した女子の生態」をリアルにフィールドワークすることができました。各地のリアルタラレバ娘のおかげで、僕は徳を積むことができました。ありがとうございます。

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