そのスキル、どこに「帰属」していますか?キャリア形成の型を考察する。

▶︎ 読みもの,

かれこれ5年間ブログを続けてきてわかったことがある。
それはなにかというと「キャリアの帰属先(belonging)」という論点。今日のエントリーは「キャリア形成の型」について考えてみたい。
昨日のエントリーとゆるやかにつながっているよ)

そのスキル、どこに「帰属」していますか?

結論から言うと、これからのキャリア形成の型は二つに集約していくだろうとヒラクは思っているのね。
一つは、「スキルと人的ネットワークを徹底的に個人に帰属させる」型と、もう一つは「不特定多数のスキルと人的ネットワークが集約する場所をつくる」型。
具体例を挙げると、前者はブロガーであり、後者は経営者になる。

ノウハウ本とかライフハッカー系メディアでは頻繁に「どうやってスキルを身につけるか」、「どうやって人脈を広げるか」というトピックスが取り上げられるが、実は抜け落ちている視点がある。それは「帰属先」だ。

例えば。
頑張って資格を取得したり研修を受けたりしてスキルをつけるとする。で、そのスキルが所属している組織や特定の業界でしか流通しないものだと、帰属先は自分ではなく組織や業界になる。
このキャリア形成は実はリスクが高い。
会社が安定して存続する見通しは立たず、スキル自体も陳腐化しやすい。組織や業界が消えた瞬間、自身のキャリアもいったんリセットになる。

対して、かなり広範に流通しているスキル(コード書けるとかカウンセリングができるとか)は帰属先を「自分」にすることができる

でね。「できる」というニュアンスが大事なのね。
これは裏を返すと「ほっといても自分の帰属にならない」ということでもある。「私はこのようなスキルを自身に紐づけています」という表明が必要なのですね。

紐付けの表明は、どのように行うか?

「なるほど。ではどうやって表明すればいいのかしら?」

そうね。わかりやすいのが自分でブログやることだよね。
「これこれ、こういうことを考えています」とか「こういうことをやってみました」とかずっと発信していくと、スキルが自分に紐付いていく。外の目から見て

いや、本当は自分で身につけたスキルなんだから、本来は自分の帰属しているはず。なんだけど、その事実は転職とか人事考課の面接の場とかでしたオープンされない。

「自分の今の実力を試すには、今の環境では不十分なんだけど…」と悩みつつ、環境を変えられない場合の多くは、実は外から客観的にその人のスキルを評価するための「紐付け=帰属」ができていないから起こる。

これにハマると、社内政治のなかで昇進コースを辿る…みたいな「昭和のボードゲーム」を選択せざるを得ない「詰み」の状況になってしまう。

独立した時の最大の強みは、自分らしく働けるとかじゃなくて、実は「スキルと自分をしっかり紐付けられる」ということだ。「コードを書くのが上手いヤマダくん」を、社内だけでなく外の目から見てもアピールすることができるということね。

実際、コードを書いたりするスキルだってもちろん陳腐化するんだけど、普段からSNSやブログで情報を蓄積していくと「スキルの積み上げ履歴」みたいのがアーカイブされていくわけで、面接とかで現状をいきなりオープンするより断然興味深いわけね。
「古着屋の店長→旅行代理店→システムエンジニアが、まさかこのようにつながるなんて…!」みたいな。

独立した人に限らず、組織に属している人も自分の興味や職能に関することをブログやSNSでアーカイブしていくと、転職もしやすいし、選択肢も広がる。

…という話を、今度電子書籍化される「キロク学会」でできればいいのだが。

スキルと人脈が注ぎ込まれる場をつくるというキャリア

ではもう一方の型の話。
まず、自分がプレイヤーとしてステップアップしたい場合は「スキルと自分自身の紐付け」が必須となる。

もう一方で、今度は「属しているスタッフのスキルと人脈が蓄積する場をつくる」というメタなスキルも重要になる。これはつまり経営者であるな。
前にも書いたことなんだけど、技術インフラやアルゴリズムの発達があるラインに達すると「スペックで差異化する」ということが無効化されていく。

その時に重要になるのが「人と人の結びつき人の興味関心が集まること」。
えーとね、ざっくり言うと「魅力的な人が集まっている組織づくり」が重要になってくるわけで、企業のオウンドメディア化や、広告よりも広報が重要になる流れが加速すると、アパレルショップみたいに「その組織らしいイメージのナイスで面白いスタッフ」が揃った環境をデザインすることが強い競争力の源泉になっていく。

で、この時に実は二つの型が合流する。
経営者は、「自身のスキルによって求心力を持った人」を社内に取り込みたいと思うようになる。実はこれは矛盾しているんだけど、ビジネスモデルを最適化したり、労働規定をアレンジしたりして「本当は個人でもサヴァイブできる面白いヤツ」を組織内につなぎとめようとするだろうよ。何かしらのインセンティブを示して「スキルを自分に帰属させた個人を帰属させる」というこことを狙おうとする(わかりにくい例えですまない)。

つまり核心は「個人としての魅力」だ。これが労働価値の代替が起こりにくい領域になる。
この価値を巡って、個人と組織の思惑が綱引きをするようになる。

「仕事をこなすためのスキル」は、市場の高速変化とアルゴリズムの超発達によって陳腐化していく。そして「個人としての魅力を許さない経営」もまた競争力を失っていく。
(恐らくロジスティクスのスペック勝負は、いくつかの超巨大企業によって専有される)

「人間らしくある」ということを巡って、キャリア形成の型はこれから再編されていくだろうよ。

「え〜、なんか読んでで暗い気持ちになっちゃった。じゃあ陳腐化しない仕事ってもう存在しなくなるわけ?」

あるよ。山伏とか、醸造家とか、宿の女将とか。

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