文化人類学的悦びとは、つくって育てること。

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昨日の話の続き&ツイッターつぶやきのまとめ。

今月から怒涛の「こうじづくりワークショップツアー」が始まります。誰でもできる「こうじ菌培養」のテクニックを伝授して回るのだけど、どうしてそんなことをするのか。

灯台もと暮らしのインタビューでも話したのだけど、ヒラクが思うに「人間の本質的な快楽は、つくって育てること」。お母さんでなくても、菌はつくって育てられる。こうじづくりワークショップをやると、みんな「文化人類学的な悦び」に打ち震えるようです。

ちなみに「文化人類学的な悦び」とは、レヴィ・ストロースの言う「冷たい社会」特有の営みのことを指す。子どもを産んだり、家族を大切にしたり、料理をつくったり、コミュニティの絆を深めたり、ビジネススキームで動く「熱い社会」では生産性が無いといって軽視されるもの。
社会的な成功を成し遂げたり、勝負に勝ったりする悦びは脳みそが痺れるような快楽があるが、文化人類学的な悦びは、お腹のあたりからじわりとこみ上げてくる。どっちも面白いとは思うけど、僕は後者の方が好きなのだ。

いやちょっと違うな。「オトコのコ的な自分」は前者が好きなのだが、僕自身は「オトコのコ的な自分」をあまり評価していないということかもしれない。そして僕の「オトコのコ的な自分」はサッカーに熱狂することによってガス抜きされている。

ユングの「アニマとペルソナの対」のように、僕のなかには常に「エゴイスティックなオトコのコ」と、「困った子の世話をするお母さん」がいる。
前者の人格はビジネスマン=デザイナーであり、後者の人格は発酵研究家であって、「オレちゃんは社会を変えたいちゃん!」「もう、ほんとにこの子は身勝手なんだから…」とやりとりするシーソーゲームの有様が、「発酵デザイナー」という自分の人格を表象しているのであるよ(ちょっとアカデミックにキメてみた)。

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