自己実現欲求ではなく、愛が人生を動かす。

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今まで「発酵をデザインする」という言葉だけが先行していたけれど、最近本当に発酵をデザインしている。麹屋さんと普通の人がDIYしやすいこうじをつくっていたり、微生物の働きを学ぶのに役立つレシピを研究したりしている。

要は科学者と料理家とデザイナーを足して三で割ったような仕事をしているのだな。

で。
キッチンで仕込みをしながらちょっと昔のことを思い出した。
デザイナーとして独立した直後、ぜんぜんお金稼げなくて困っていたとき「もし僕にデザイナーとしての才能がなければ、料理をやろう」と真剣に思っていたことがあった(飲食店でずっとバイトしていたし、料理好きなので)。

幸運にも、その後ほどなくしてデザイナーとして独り立ちできたけれども、不思議な巡りあわせで、「デザイナーのまま料理をつくる」という仕事が成り立ってきている。
人生というのは奥深いもので、かつて願ったことが予想の斜め上の角度からブーメランのように戻ってくることがある。

美大の予備校に通い始めた高校時代の「絵描きになりたい」という願望は、アニメや絵本をつくることで叶えられた。大学生の時の「旅をしたい」という願望は、色んな地域で仕事するようになって叶えれれた。サラリーマン時代の「アートディレクターになりたい」という願いも、独立した後無我夢中で事業の経営とデザインを並行しているうちに叶っていた。

その当時の自分の視点から見ると、今のヒラクは「夢を叶えたひと」なのだけれど、不思議なことに、独立して自己実現に興味がなくなった結果、今の状態になった。
ここ数年間、僕は「◯◯になりたい」と思って仕事をしたことはなかった。「微生物が好きだ」という愛を温め続けていたら、かつての願いが結果的に実現していた。

「◯◯になりたい」という自己実現願望よりも「◯◯が好きすぎる」という愛が人生を動かす。愛って偉大だぜ。

 

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【追記】一年くらい前に書いた求人記事に、いいことが書いてあったので(←手前みそ)再編集してもう一度ノートしておきます。文中の「志」を「愛」に変えたらほとんど一緒のこと言っておるな。

仕事って、絶えざる雪かき仕事みたいなもんです。

後輩のお調子者リーチくんが「仕事って雪かきみたいなもんじゃないスか」というのを聞いて「はて」と思うことがありました。
(もとは、平川克美さんの本に出てくる言葉みたいです)

雪かきって、一生懸命やっても誰も気づかなかったりする。
でもやらないと、みんなが道を歩けなくなったり、家から出られなくなったりするかもしれない。

そしたら、心ある誰かが黙って雪かきする。
別に自分の手柄にもならないのに。

でも考えてみれば、はたらくことって本質的には「雪かき」の作業が大半を占めます。
(↑常に好きなことやってそうに見えるヒラクが言うんだから間違いない。)

例えば。
仕事が発展していくに従って、次々に「今まで必要のなかった仕事」が出てくる(書類整備とか、ルール作りとか、複数のPCでのデータ共有の仕組みとか)。で、そういう仕事って、直接利益を出すわけでもないし、今までなかったわけだから役割分担もあいまい。だけどやらないと次に進めないから、誰かが「じゃあワタシがやっとくからね」と手を挙げる。で、こういう作業が地味なクセに時間かかったりする(←そもそもやったことないし)。
そんで、夜ひとりで「ああ、一体自分は何をやっとるんだ」と独り言したりとかね。

志があるから、雪かきを続けることができる。

なんでそこまでしてやるんでしょうか。
雪かき仕事って、基本誰かに「やれ」と命令されてやることじゃないから、義務ではない。
「そういうことが好きだから」という性格もあるかもしれないけど、それって結構レアケース。

ではなぜか。
そこに志(こころざし)があるからです。

自分の仕事を通して、自分のいる世界を良くしたい。
自分の好きな事を、誰かと一緒にシェアしたい。

自分がどんなモチベーションで仕事をするのか、どんな結果を出すか。
その先にある「こんな社会を実現したい」という情熱が、雪かきを続ける原動力になると思うのです。

人が本気になったとき、「自分の手柄」という丘の向こうに、大きな山が見えます。
組織が本気になったとき、「売上」という丘の向こうに、大きな山が見えます。

「…で。ヒラク君は何が言いたいのかね?」

「えっとぉ、やっぱり一緒に山登りできる人と働きたいんですぅ」

丘ではなくて、山に登る。

はい。
何が言いたいかというと、「自分という存在の向こう側にあるものに向かってはたらく」のが大事だなってこと。

「今いる会社の、こんなところが不満で」
「ワタシは本当は、こんなふうにはたらきたいんです」

というような相談をする人がいたとします。
「こんなところが不満で、その障害がなければワタシはもっと幸せになれる」。
その考え方自体に間違えはない。
ないけど、その考えをしている限りは、先には進めない。

障害を超えるための原動力は、ワタシはもっとこうあるべきだという「」の先にある、ワタシがこうあれる社会を自分でつくるという「」に登ろうと決心した時に生まれる。
その挑戦のなかで、いつのまにか「あれっ、丘登ったじゃん」ということに気づくんですね。

というわけで、ヒラク個人として願っているのは、
「自分をよくするために、自分の周りを良くしていこう」と本気で思っている人と出会えればいいな、ということ。

絶えざる情熱の火を胸に灯している人は、きっとそんな人だと思うのです。

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