資本主義は、全力かつ高速で終わり始めている。

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資本主義は、いま全速力で終わろうとしている。
最近、ハッと気づいてしまったのです。いま僕たちは超高速で一つの社会システムが瓦解していくプロセスに立ち会っていると。

今日は、僕なりの「資本主義の終わりっぷり」をノート(また折を見てアップデートするかも)。

テクノロジーの進化が、平均的な「ホワイトカラー仕事」を代替する。

最近、スマホのアプリで「写真を何点か選ぶと、良い感じのスライドショーをつくってくれる」というものがあります。あるいは、「Adobeのデザインツールがなくても、誰でも簡単にチラシをデザインできる」なんてアプリもある。

僕も触ってみたけどよく出来ているんですよね。編集やデザインの技術がなくても70点くらいの表現物がつくれる。
いやあコレは便利だと思う反面、考えてみれば「結婚式のスライドショーを制作するひと」とか「フリー素材とかを組み合わせてサクッとチラシをデザインしてくれる街場の印刷屋さん」なんかの仕事というのがまるっと「ゼロ」になるわけです。

とまあ僕の仕事に関係するような例えで説明しなくても。工場の単純なライン作業を代替するロボットとか、テキを見つけて追い込んで確実にやっつける軍事ロボットとか、こういうのも労働者(軍隊従事者も労働者とみなしたらば)から「仕事を奪っている」というふうにも言えます。

まあなんだな。経済用語でいう「グレート・デカップリング」という現象が起きているわけで「生産性があがっても人のスキルとか雇用はむしろ減退していく」みたいな事がはげしく進行しているということです。「ブルーカラー的グレートデカップリング」はSF的バッドフューチャー世界観とともにながらく僕たちを恐怖させてきたけれど(ターミネーター?)、最近は「ホワイトカラー的グレートデカップリング」がWEBサービスの起業ラッシュによりどどどっと進んでいる。

平均的なデザインやエンジニアリングのスキルは、WEBサービスのインターフェイスによって代替される。平均的な編集やライティングスキルは、キュレーションメディアや電子コンテンツのプラットフォームのシステムによって代替される。写真を選んで文字をほいほいっと入れれば、チラシでもWEBサイトでも平均点のものが生成され、複数のコンテンツを編んで読書に「おたくは、こういうの読みたいんでしょ?」というトピックスを届ける、かつて雑誌の編集者たちがえんえんと会議したりしてやっていた作業が、読者ひとりひとりの行動特性を読み込んで「自動的に編集」される。

そのうち、「翻訳」とか「法律相談」とか「不動産仲介(はもうだいぶ進行しているな)」とかもWEBサービス上で担当の専門家を通すことなく、アルゴリズムによって仕事がなされるようになる。たぶん、あと数年でそれは相当いいセンまでいくと思うんだ。

そうなった時に、街場のデザイン屋さんとか翻訳家とか不動産屋さんとかは「ぽかあん」としたまま特に何もすることがなくなるよね。
……という、日経ビジネスとかクーリエジャポンとかが喜んで吹聴しているような未来が来てますよ、というのがまず前段。

テクノロジーが「ものの価値」を解体していく。

はいではここからが今日の本題です。
さて、僕はこの状況を見ているうちに「あっ、資本主義の根本が崩れようとしておるぞ」と思ったんですね。

えーと。ここからいきなりマルクスの話をします。ひとつよろしく。

マルクスの定義する「価値」という概念があります。マーケットに流通する「モノの価値」はいかにして決まるか、というお話です。「価値」ってのは、「それにどれくらい人の手がかかっているか」によって決まるんですね。
例:この服は、カワクボさんが20時間くらい一生懸命かかってつくったから、カワクボさんの時給2,000円として4万円ということになります(本当は生地の原価とかアトリエの家賃とかあるから単純には言えないけどね)。

商品の付加価値ってのは、基本的に「いかに人の手がプラスαでかかっているか」によって弾き出されます。

例えば、広告代理店がとある香水のキャンペーン一式の注文を受けたとします。
そしたらば、どうやって見積を計算していくというとだな、「WEB制作会社への発注額+イベント企画会社への発注額+CM制作会社への発注額を総計したものの2倍(←代理店の取り分)」みたいに計算するのね。
で、今度はイベント企画会社は、代理店に出す見積をどう計算しているかというと「会場設営会社への発注額+音響会社への発注額+企画スタッフがイベント内容を考えてコーディネートする額を総計したものの2倍(←企画会社の取り分)」みたいになっている。
下請け(企画会社)→元請け(代理店)へと見積りが上がっていくたびに、実際動いているモノ以外のお金がどんどん積み上がっていく。これは「いろんなことをまとめるために人が手間をさいて動く」ことにかかる、いわゆる「ジンケン費」というものです。

それでですね、この「この仕事をやるには、これぐらいの職能に人の手がこれぐらいかかる」という基準があるんです(←これ、むかし公共事業のプラニングに関わったときに知りました。事業発注時に、お役人とかコンサルはこの基準が記載されたカタログを見ながら予算を計算するんだな)。

こうして、「世に流通しているモノ・サービスの標準の相場」というものが制定されます。
こういうのがあるおかげで、いちいち「なんでこの作業にこんなに費用がかかるねん、説明しなはれ!」と揉めずに、「まあ相場というのもわかりますけど、ウチの業界も最近厳しくて。一つ、この『測量費』というヤツ、ちょっと融通してくれませんか」という塩梅でマイルドに交渉が進んでいくわけです。

すいませんね、話がなかなか進まなくて。

でね。「企業努力」というのは、この「標準値」より手間を合理化して、かつ売るときの利益を減らさない、ということなんだよね。今まで10時間かかっていた作業を、やり方を工夫して5時間にしました。あるいは、労働時間を二倍にしたので10時間の仕事の価値が半分になりました(←これはブラック!)。

ということはだ。
いかに商品の「価値」の根幹を成す「人の労働」というものを圧縮し、無効化していくかが、市場で有利なポジションを得るためには大事だよね、という発想に行き着く(そっちの方が「相場よりもお得」になるわけだしね)。その結果、「労働時間を2倍にしよう」→「貨幣価値が全然ちがうアジアの国で生産しよう」→「アツくても寒くても文句いわないロボットがやるようにしよう」という流れが進行していく。

そんな感じで、19世紀の産業革命時代以降の工業社会(大仰な言い方だなあ)に「工場的ブルーカラーにおけるグレートデカップリング」が起きた。
起きたんだけど、その裏には「辛くて単調な単純作業から我々人類は解放されました!これからは誰でもクリエイティブかつインテリな感じで各自の創造性を活かした仕事ができますやっほう!」という、「そうかそうか、なら一応納得してやらんでもない。ま、帰ってビールでも飲むか」的なおためごかしがあったわけですが。

しかし時代を2010年代。ついに「クリエイティブかつ高度なホワイトカラー仕事」もグレートデカプり始めたじゃん。
ここで、資本主義に本質的に内在している「自意識過剰困ったちゃん系女子的自滅属性」が明らかになったのだよ。

「価値を破壊することがもっとも儲かる」という禁断の果実。

ようやく僕の言いたい事に近づいてきたぜ。

ここ1〜2年進行している、WEBサービスによる「仲介業」の無効化、C to Cサービスと言われるような「何かを欲している個人と個人の直取引がカンタンにできる」プラットフォームは、日本の街場に数多ある「まあほら、素人さんは忙しいしあんまり業界のこと知らないでしょう。だからウチらはお手伝いさせて頂いているわけで…」という、心根はやさしいが特に強みとか壮大な野望とかはない産業をどかーん!と吹き飛ばすであろう。

そして、技術のイノベーションはサービス業にはとどまらない。
例えば、そのうち人間にとって必要な栄養素を網羅して、かつそんなにまずくはねぇ、というサプリメント食品が限りなくタダに近い価格で大量供給される(最初は、飢餓にあえぐ第三世界に…みたいな名目で開発されるが、そのうち、さくら組のみんなの昼食のうち7割はサプリメントでしたの。時代は変わったわねえ…と園長先生も心配するようになる)。

住む家も、不動産屋さんが利益を得ていた仲介システムとか、投資目的の強気な値段設定とかが崩壊して、かつシェアハウス版 Airbnbみたいのも超発達して、家賃も下がる。

電気代とか水道代とか医療とか公共教育とかの公共インフラについてはなんとも言えないけど、民間企業が提供するものに関わる生活コストはとにかく下がる。それはなぜかというと、ものの価格から「価値=人の労働」がごっそり取り除かれ、かぎりなく仕入れにかかる「モノ」とイコールになってくるから。

自分の労働の価値が低下していき、それと同時に商品がタダに近くなっていくから、ただ住んで食べる、という生存活動においては収支が合う、という状況になるかもしれない。だけども、もしその状態に身を置いた場合、自分の仕事の選択肢はほとんどなく、しかも限りなく無価値で、タダに近い生活物資は限られた超大手のサプライヤーだけだからこれもあんまり選択肢がない。それはつまり共産社会主義国家の失敗しまくった最期、みたいなディストピアが予想される。

「そういうものなのだよ。資本主義が行き着く先は。貧しいものは、何も選択肢のない状態におかれるのだ。」

うん、たぶんそう。
そうなんだけど、「第三次産業における価値の崩壊」は、その先にはもう何もなし!というエクストリームな状況を生む。

結論を言えば、「価値を破壊することが唯一の価値になる」というサイクルが超高速化しているということなんだ。
例えば、既存の産業構造をひっくり返し、仲介マージンを一掃し、平均的スキルをアルゴリズムに置き換えるサービスを開発する。これを着想し、資金を集め、開発し、運用し、ブレイクさせるまでの仕事には「価値(人間の労働)」が含まれる。
で、ブレイクした結果、無効化する「価値」が巨大であればあるほど、そのサービスには資金が集まる仕組みになる。

これが儲かる「ベンチャー起業の必勝勝ちパターン」であるとするならば、世界中の才能がここに集まる。
とすると、その俊英たちが「どこかに壊せそうな価値ないかしら?」「アルゴリズムに置き換えられそうな人間のスキルはないかしら?」と目を皿にして探しまわる。

競争が激化し、サイクルが高速化していく。
そしてある日、世界中のありとあらゆる産業から「人間の労働」というものがぶっこ抜かれ、あと残っている対象は、「価値破壊を起こすベンチャーを発想できる人工知能を開発すること」だけとなった…

はい、ココ注目!これ、資本主義の終焉!
商品の取引が「人間の労働による付加価値」を乗せたうえで成り立ってきた市場の意味がもうなくなっている(じゃあナニ経済なんだ、と言われても困るが)。そしてそれを引き起こすのは、対抗する他の社会思想ではなく。「超高速化した産業の合理化」による自壊なんだな。

えーと、だからこれからスゴい才能が革新的なベンチャー事業を起こせば起こすほど、今の経済システムは終わりに近づいていく。
「このシステムのうえで、最もはやく、最も激烈に勝ちたい」と思うプレイヤーが増えれば増えるほど、終わりははやくやってくる。

そのギアはもう後戻りができないほど加速された。
これから僕たちが未来を見据えるときに、意識的に選択をしていく必要があるだろう。

一つは、「ワイがその旗、取ってやるでえ」とレースに加わる。
もう一つは、壮絶な茶番が終わったあとの世界を、いまからつくり始める。

じゃあその次の世界って、何なの?ってのは、また次のお話。

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