『日本発酵紀行』まえがき先行公開!

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こんにちは。小倉ヒラクです。
新著『日本発酵紀行』のまえがきを先行公開します。面白そう!と思った方はぜひ事前予約をお願いします。

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どうぞたくさんの人にこの「記憶のざわめき」が届きますように。

日本発酵紀行 まえがき

 木々が葉を落とし、土や水のなかの生命が息を潜める季節、町外れの蔵からプツ…プツ…と小さな音が聴こえてくる。桶や樽のなかで微生物たちが活動を始めた音だ。川が凍りつくほどの寒さのなか、蔵ではたらく醸造家たちは上着を脱いで狭い室(むろ)に入っていく。

 室のドアを開けると、じっとり湿った蒸気と甘い栗のような香りが押し寄せてくる。室の真ん中には底の浅いプールのような長い箱があり、そこには白く靄(もや)がかかったような米が寝かされている。米についている靄は、カビだ。毒を出さず、人間に有用な成分をつくってくれるニホンコウジカビという不思議な微生物。室に充満する熱と香りは、米を食べて爆発的に増殖していくこのカビから発せられるものだ。

 人間たちは米粒を両腕を使ってかきまぜ、ばらし、曲芸のように米粒を底からすくって噴水のように空中に巻き上げていく。このように撹拌することでカビが呼吸するために必要な酸素を送り込み、火傷させないように適度に放熱させていく。手入れ作業が終わると、醸造家たちはじっとカビの茂った米、麹(こうじ)を見つめる。

「とてもいい。すごく元気に育っている」

「湿度はこのままでいいかな?」

「あと数%だけ乾かそう」

 彼らは手を通して、鼻を通してカビたちと対話をしているのだ。室から出ると、醸造家たちは階段を登って冷たく乾いた踊り場のような場所へ移る。そこには小さなタンクが規則正しく並べられている。タンクでは、ベージュ色のペーストに無数の小さな泡が浮き上がり、プツ…プツ…と音を立てている。

 このペーストは室でコウジカビをつけた麹と米を水と混ぜ合わせたもの。泡を立てているのは酵母。カビが米を食べた時に分解した糖分をエサにして大量のガスを放出する。ガスは麹ペーストに含まれるタンパク質や脂質の薄い膜に包まれて気泡となってふくらみ、爆(は)ぜ、そのバブルの底で酒の材料となるアルコールが生成されていく。

 ここは淡路島の日本酒蔵、都美人。
朝の
時、都会の人たちが眠りこけている(あるいはようやく寝床につく)時間に蔵人たちの仕事が始まる。米を洗い、蒸し、室に運び、カビの手入れをし、タンクに酒の(もと)を仕込み…と、日かけて微生物たちの世話をするのだ。まだ日の昇る前のしんとした空気のなか、人間たちが寡黙に作業をこなしていく。

 誰の声も聴こえないはずなのに、蔵のなかには不思議な賑やかさがある。目に見えない微生物たちが刻一刻とその数を増やし、麹室(こうじむろ)やタンクのなかでさざめいている。蔵人たちは耳を澄まし、じっと彼らの声に耳を傾ける。目に見えない、耳にも聴こえないミクロの対話。

 やがて朝焼けが蔵を照らし、学校へ向かう子どもたちの声が遠くから聴こえてくる。人間の時間が始まった。

               ☆

 僕の祖父は、佐賀の玄界灘の漁師だった。小学生の頃、東京で生まれた虚弱児の僕は、夏休みになると母方の佐賀の実家に預けられ、海で泳いだり、野山を散歩したりして身体を鍛えた。なかでも楽しみだったのは祖父の船に乗って漁に出ることだった。深夜に沖に向かって船を出し、真っ暗な海のうえで網を降ろす。灯台の明かりも見えず、360度ぐるりと闇だ。心配になって祖父にねた。

「おじいちゃん。こんな真っ暗ななかで怖くない?」

「大丈夫。俺には海のうえに道が見える」

 祖父にとって、星や潮のざわめきは自分がいる場所を教えるGPS情報のようなものだったのだろう。高等教育を受けたことのない、人口200人の小さな漁村で育った祖父は、船に乗って朝鮮半島や沖縄、台湾へ行き、現地の言葉を知っていた。僕にはただの水のカタマリにしか見えない海からたくさんのメッセージを受け取、明日の天気や風向きを驚くほど正確に言い当てることができた。都会っ子の僕からするとエスパーにしか見えなかった祖父は、僕が中学生のときに死んだ。縁側で漁網を編みながら居眠りするように息を引き取ったという。

 それから僕は高校に進学し、思春期の男子らしくアートや音楽にハマり、夏休みは都心のギャラリーやライブハウスに行くことに夢中になり、やがて遠い世界に憧れて海外へバックパッカー旅行に出るようになった。佐賀で祖父と過ごした日々は記憶の淵に沈み、僕は20代前半までひたすら未知の情報、新しい情報を追い求めて、気がついたら情報の設計の専門家であるデザイナーになっていた。

 目に見えるもの、文字に書かれたもの、誰かによって見出され、整理され、編集されたもの。そういう「情報」を集め、組み上げてポスターや箱や冊子にする。それは刺激的な仕事で、駆け出しデザイナーだった僕は朝から晩までパソコンの画面や出力されたドラフトの前にかじりついて、人間の社会をコントロールする「情報」の創造主になれることにやりがい、もっといえば優越感を感じていたのかもしれない。他の誰よりも情報を収集し、巧みに操り、世界を動かす。そういう存在になることが優れた人間になることだと思っていた。

 ところが転機が訪れる。

 自分のデザイン事務所を開業し、東京を離れた地方の仕事を始めた頃に、醸造家という不思議な存在に出会ったのだ。酒や味噌や醤油の食品メーカーと言えばそれまでなのだが、彼らの働きぶりを詳細に見てみると、僕がそれまで慣れ親しんできた仕事とはかけ離れたものだった。蔵や工場のなかで日々微生物という目に見えない謎の存在に向かい合って悪戦苦闘している。人間の言葉が通じない生物たちに己を委ねることによって、味わい深い食べ物をつくりだしていく。いや、彼らに言わせれば、つくるのは人間ではなく微生物。人間は微生物たちのはたらく環境をつくるサポート役であるにすぎない。

 人間は魚をつくりだすことができない。生み出すのは水。作物をつくることもできない。つくるのは土だ。漁師や農家、醸造家たちの仕事は直接なにかを生み出すことではなく、生み出すものを観察し、その環境に介在し、生み出す力を人間のほうに引き込む媒介のようなもの。だからこそ彼らの感性の第一は観察すること、感じることに振り分けられる。彼らのアイデンティティは創造主になることではなく、自然の理を受信するアンテナになることだ。

 「創造的であること」を命題としていた当時の僕にとって、人間以外の理(ことわり)と関わり合いながら生きる人々との出会いは未知との遭遇であり、同時にどこか懐かしいものでもあった。

 人間のつくった環境のなかで、朝から晩まで人間とだけコミュニケーションすることで完結する生き方はそもそも近代以降の特殊な生き方なのではないか? 僕の祖父や醸造家たちのように、日本に生きてきた人々は海や森や微生物たちと日常的に関わり、彼らの気配を感じ、人間どうしのそれとは違うコミュニケーション回路を持っていたのではないか?

 独立直後に仕事を依頼してもらった山梨の老舗味噌屋、五味醤油の旦那と飲んでいたときのこと。夜11時を回った頃に突然、

「あ、麹が呼んでる。手入れしにいかなきゃ」

と蔵に帰ってしまったことがあった。年中ニホンコウジカビと一緒にいるので、微生物たちのライフサイクルが身体にシンクロしてしまっている。曜日があ、週末があ、仕事とプライベートのオンとオフがあって…という「人間の時間」とは違う時間軸が身体に刻まれているのだ。僕もその感覚を理解したい! と思って微生物学のイロハを学び、自宅で麹をつくりはじめた。何度も失敗を繰り返し、だんだんコツがわかってきた時期のある夜ふと、

「あ、僕は今呼ばれている…!」

という感じがあった。それはいわゆる第六感的な超能力というよりは、常に自分とは理の違う微生物の存在のことを強く意識し続けた結果生まれてくる、小さな気配への感覚。スポーツ選手や音楽家が感じる、ある領域の解像度が特異的に高まった状態のようなものだろう。

 この感覚があったときに、子供の頃に祖父の言った「海のうえに道が見える」という言葉がおぼろげなから理解できたように思えた。

 情報になる前の、世界の兆しを感じ取るちから。僕がずっと求めていたものとの出会いだった。

                 ☆

 やがて僕は東京でのデザイナーの道に見切りをつけ、様々な土地をまわって発酵文化を訪ねてまわる日々を送るようになった。その旅のなかで、人間の理「ではない」感性で生きている人たちに数多く出会うことになった。何世紀も続く生業を継承し、人生を通してその土地の歴史や文化をごく自然に背負い、風土を呼吸しているような生きかた。

 僕はその生きかたがどのように生まれ、どのように次の世代へと受け継がれていくのか、もっと言えば自分のなかに流れている「人間以外の時間」の手がかりを知りたいと強く願うようになった。

 この旅は、水と土と微生物が織りなす発酵という文化から、日本という土地に生きてきた人々の記憶を掘り起こす試みだ。どこもかしこもコンクリートで固められ、信仰や祭りが消え去り、通りの風景が均質化してしまったように見える世界にも、伸び縮みする時間軸、目や耳では感知できない兆しに気づく感性が生み出した景色と文化が残っている。

 ただしその隠されたレイヤーを見るためには、人間の解像度ではちょっと足りない。もっともっと小さなスケールで生きる微生物たちのセンサーを借りてみよう。そうしたら見えてくるはずだ。あちこちから湧き上がってくる古(いにしえ)の記憶のざわめき、そして新しい生命の明滅が。

 それは僕の祖父が見ることのできた、海上の星の瞬き。暗闇に浮かぶ帰るべきホームを、同時に目指すべき目的地を照らす道標だ。

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前作『発酵文化人類学』から、さらにディープな世界へと旅する『日本発酵紀行』。気になる方はフォームからぜひ事前予約ください。


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▶事前予約スペシャル特典つきます!

▶書籍には収録できなかったアナザーストーリー
訪れた47都道府県全部の話を収録すると本のボリュームが現実離れしてしまうので、泣く泣くカットしたローカル発酵のアナザーストーリーをフリーペーパー形式で同封します!青森の『ごど』と沖縄の『豆腐よう』を収録する予定です。ぜひ本編とあわせて読んで下さい。

▶イラスト付きサイン
通常のサインに加えて、僕のアニメに登場するキャラクターや僕の似顔絵のイラストを入れて本をお届けします。前作では800冊の事前予約があってまる二日間サインをし続けて軽く腱鞘炎になったのですが、今回はまる三日間くらいサインし続ける気合でのぞむぜ…!

今回の本もまた取次の配本を通さずに、直接個人や本屋さんから注文をもらうDIY流通スタイルでお届けします。最初のスタートダッシュを切るためにも、ぜひ事前予約してもらえると嬉しい。

展覧会もどうぞよろしく!

今回の本は、渋谷ヒカリエ8階のd47 MUSEUMで4月末から始まる展示会の公式書籍でもあります。展示とあわせて読むとさらにディープに日本のローカル発酵文化を知ることができます。書籍『日本発酵紀行』の世界をどうぞ実際に体感してみてください。

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