人間にとって味覚とは何か? 発酵から見る味のクロニクル

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▶人間にとって味覚とは何か?発酵から見る味のクロニクルソトコト17年9月掲載

発酵食品と言えば「美味しい」もの。なんだけど、そもそも美味しいって何なの?発酵のことを研究していると、僕たちがふだん当たり前のように口にするおい美味しさの概念が実はとても曖昧であることに気づきます。今回は人間にとって味覚とは何か?を考えてみようではないか。

舌だけで味わっているわけじゃない

超スピードで解明が進む人間の脳の認知システムにおいて、難関とされるのが音楽と味覚。どちらも異なる脳の部位をいくつも連動させながら複雑な感覚を発生させているようです。例えばジュースを飲んだ時で考えてみよう。①まず舌で「甘い」という刺激を受け取る。②そして夏場の炎天下のなかだと触覚で「冷たい」と快感を受け取る。ここまでは生理的な欲求なのだが、脳の複雑な認知システムではこの生理的欲求のうえにバーチャルな情報が乗っかってくる。③子どもの頃から慣れ親しんできた味だとより美味しく感じる(やっぱりジュースはコーラがいい!)。④誰かにオススメされたり、パッケージがカワイイとより美味しく感じる(好きなあの子もそういえばコーラが好きって言ってた!)。

この①~④の要素が脳のなかで統合されて「やっぱ夏場は冷たいコーラが最高!」という感覚ができあがることになるわけですね。

絶対の味覚はありえるのか?

地方の農家民宿に泊まると、宿主のお母さんが「お客さん、私のどぶろく飲んでみるかね?」なんて勧めてくれて、いざ飲んでみると「こ、これはお世辞にも美味しいとは言えねえ!」みたいな味だったりします。それで愛想笑いしながら横を見るとお父さんが「そうだ!母さんがつくるどぶろくが世界一美味い!」と上機嫌でどぶろくをぐいぐい飲んでいる。そこで「お父さんは美味い酒を知らない!」と詰め寄るのは間違いで、お父さんの脳内においては本当に「母さんのどぶろくは世界一!」なのです。母さんへの愛=バーチャルな情報がそのどぶろくをお父さんにとっての特別なものなものにしているわけだからね。

発酵食品を例にあげてみると「普遍的に美味しい味」というものが幻想でしかないことがわかります。日本酒でもワインでも水のように澄んだ味が最上だとされていたのが、一人の天才醸造家がその価値観を覆し、原料の味わいを活かした濃厚な味をトレンドにしてしまう。あるいは田舎で細々と食べられてきたものすごく臭いチーズが、インフルエンサーが「この臭さがイイ!」と評価した途端に高い値段で売れるご当地グルメになってしまう。これはつまり味覚というは人気投票のようなものだと言えるのです。ちょっとしたきっかけでオセロが黒から白に引っくり返るように「美味しい」の定義が変わってしまう。

発酵食とは、いわば時代の価値観とともに変わっていく「人間の感性を写す鏡」なのです。去年までみんな着ていた服が今年では途端にダサく見える。青春時代に聴いていたヒット曲がどの時代の音楽より最高に思える。そんなトレンドの変遷の波間にふとした瞬間にエバーグリーンな普遍性がチラッと垣間見える。

トレンドに100%乗っかるのも楽しいし、セントジェームスのボーダーシャツやビートルズの名曲のようなスタンダードを変わらず愛し続けるのもまた楽しい。

自分が何を美味しいと思うと感じるのか。そこには実は自分の人生の履歴が残っているのですね。

「えっ、それってつまり自分が美味しいと思うものからその人の価値観が見えちゃうってこと?」

ご名答!

【追記】味覚は物理的な刺激とバーチャルな情報の複数のレイヤーが重ね合わされてできる認知。同じものを食べても同じような味覚を感じているとは限らないのです。


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