思想としての発酵。不確かさを醸すよろこび

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『発酵文化人類学』の出版記念企画として、雑誌ソトコトの連載バックナンバーを無料公開!  なぜそんなことをするかというと、書籍版は過去の連載記事を全部無視した「完全書きおろしREMIX」だからなのだ!

▶思想としての発酵。不確かさを醸すよろこび  ソトコト17年9月掲載

春にこの連載の書籍版が発売されてから三ヶ月。発酵好きの人からはもちろん、もっと広く文化やテクノロジー一般に興味のある人たちからたくさんの感想をもらいました。そこで気づいたのが「思想としての発酵」という可能性。単に「美味くて身体に良い食文化」ではなく、世界の見方、自分の生き方のヒントを発酵という現象に求めている人が多いことに驚きました。そう。発酵はもはやライフスタイルを超えてカルチャーになりつつあるのです。

不確かさを愛でる

考えてみるに現代はあまりにもモノの見方が方程式化してしまっているかもしれません。「この仕事をしたら、こういう風にお金が儲かって、モテます」とまるでボタンを押したらポップコーンがポン!と出てくるかのような思考が強くなっていくなかで、発酵には「ボタンを押したら何が出てくるかわからない」という面白さがあります。

醸造家たちの仕事は、複雑さや不確かさのなかから生み出す創造性の象徴。食材の質はもちろん、醸す場所の気候や微生物の種類や働きなどの複雑な要素によって出来上がりが左右されます。発酵において、醸造家(人間)は本質的に「つくる」ことはできません。できるのは「仕込む」ということなんだね。

食材や微生物や気候の相互作用によって何か未知の、でもイケてるサムシングが生成されてくる「環境」をしつらえる。「味わうたびに微妙に味が揺らぐ」ことが美味しくて楽しいわけです。

サムシング・スペシャルへの飛躍

自分で仕込む手前みそ。そこには「サムシング・ニュー」から「サムシング・スペシャル」への思考の飛躍があります。

「社会一般にとって新しいこと」を追い求めるのではなく「自分にとって特別なこと」を味わう。「結果」ではなく「過程」に軸足を置いてみる。

これだけ世界中がインターネットで接続されるようになると自分が思いついたナイスアイデアが、実は地球の裏側の誰かがすでに実践していたことだったことがわかってしまう。そんな状況のなかで「世間の誰もが成し遂げなかったNEW」を追いかけることは苦しい。「他人と比べて進んでいる/遅れている」という価値観とは違うモノサシが必要なのではないかしら?

例えば手前みそを仕込むことは何百年も前から続けられているフツーのことなんだけど、やってみるとその人だけのスペシャルな体験を味わえます。みんなで共有できるのに、一人ひとりが特別感を味わえて、しかも出来上がりもそれぞれ違う。誰がいちばん美味しいかという正解もない。そこには「プロセスを味わう喜び」と「喜びを共有する楽しみ」がある。これが「サムシング・スペシャル」的な世界観。

発酵文化において奥深いのが、長く続く価値をもったプロダクトのほとんどが「競争」ではなく「共創」によって生み出されていくこと。「それぞれの人が自分の感性で試したこと」が共有知になって技術が洗練され、同時に味の多様性が生まれていく。「これはオレだけのNEWだ」と囲い込むことではなく「オレとオマエの味噌を交換しようぜ」と共有していくことで個性が生まれ文化が生まれていく。「サムシング・スペシャル」は自分だけの世界に閉じこもることではなくて、それぞれのスペシャルを分かち合うこと。

新しさを追い求めすぎると、世界は貧しくなっていく。新しさを追い求めるのではなくて豊かさ、楽しさを醸し出していく。不確かなもの、自分のカラダで感じられる特別さを感じとること。そしてそのプロセスをじっくり時間をかけて味わっていく。急がず、楽しく、自分らしく。そのための世界の捉えかたこそが「思想としての発酵」。均質化とスピードを追い求める世界と対峙するための方法論なのであるよ。


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